雲仙(市)(読み)うんぜん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「雲仙(市)」の意味・わかりやすい解説

雲仙(市)
うんぜん

長崎県の島原(しまばら)半島北西部に位置する市。2005年(平成17)南高来(みなみたかき)郡国見町(くにみちょう)、瑞穂町(みずほちょう)、吾妻町(あづまちょう)、愛野町(あいのまち)、千々石町(ちぢわちょう)、小浜町(おばまちょう)、南串山町(みなみくしやまちょう)が合併、市制施行して成立。北は有明海の諫早(いさはや)湾に、西は諫早市、橘(たちばな)湾(千々石湾)に面する。南東部には雲仙普賢岳(ふげんだけ)ほかの雲仙火山群が連なり、島原市、南島原市に境する。市域は火山群の険しい山地、丘陵地、火山性扇状地、海岸部の平野からなり、火山群を水源とする千々石川が西北流して橘湾に、西境を有明川、東部を土黒(ひじくろ)川などが北流して諫早湾に注ぐ。北部を海岸線に沿って島原鉄道が通じる。島原半島外周をめぐる国道251号が北部の諫早湾沿い、西部の橘湾沿いを走り、一部これに重複する国道57号が半島西岸の小浜から東岸の島原市へと横断し、両国道と交差する形で国道389号が市の東境近くを通って半島を縦断する。国道57号は市道小浜仁田峠(にたとうげ)循環線とともに雲仙天草国立公園や島原半島県立公園の指定域に含まれる市域観光の基幹路となっている。

 市域は早くに開け、旧石器時代から縄文時代にかけての国見町(くにみちょう)多比良(たいら)地区の松尾遺跡(まつおいせき)をはじめ、縄文~弥生時代の遺跡が多い。吾妻町(あずまちょう)本村名(もとむらみょう)の守山大塚古墳(もりやまおおつかこふん)、瑞穂町(みずほちょう)古部甲(こべこう)の柿ノ本古墳(かきのもとこふん)、国見町多比良地区の高下古墳(こうげこふん)など、有明海に面した海岸丘陵上に多数の古墳が確認される。『肥前国風土記』に「峯の湯」と記される雲仙の温泉は早くから都人に知られていた。南北朝期には南朝方の勢力が強く、南北両勢力の戦場となり、1373年(応安6)には九州探題今川了俊の軍勢が千々石の浜で征西将軍宮方と交戦している。応仁の乱後は有馬氏の支配下にあったと考えられる。有馬氏は1577年(天正5)龍造寺氏に千々石の釜蓋(かまぶた)城を攻撃されて一時衰退。同城主千々石直員(なおかず)の子が天正遣欧使節の一人千々石ミゲルであった。有馬氏はのちに島津氏と連合して龍造寺氏を破り、旧領を回復する。近世以来諫早湾沿岸の干拓が行われ、耕地が広がった。雲仙天草国立公園指定域の立地を生かした観光のほか、橘湾では巻網漁業・底引網漁業、またブリ、タイなどの養殖も盛ん。農業では米、ミカン、イチゴ、カーネーションほかの花卉(かき)栽培、肉用牛の飼育、養豚などが行われている。面積214.31平方キロメートル、人口4万1096(2020)。

[編集部]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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