露の 五郎兵衛(2代目)(読み)ツユノ ゴロベエ

新撰 芸能人物事典 明治~平成の解説

露の 五郎兵衛(2代目)
ツユノ ゴロベエ


職業
落語

肩書
上方落語協会会長

本名
明田川 一郎(アケタガワ イチロウ)

別名
前名=露の 五郎(ツユノ ゴロウ),芦の家 春一, 春坊,桂 小春団治,別名=一輪亭 花咲,一寸 露休(チョット ロキュウ)

生年月日
昭和7年 3月5日

出生地
京都府 京都市上京区下加茂

学歴
汕頭日本東国民学校高等科卒

経歴
京都市で生まれ、父を知らず、母の実家で育つ。少年時代に映画に子役として出演し、羅門光三郎主演の「暴れだした孫悟空」では小さくなった孫悟空役を演じた。父が中国へ渡り汕頭で日本料理店・加茂川を開くと、前線部隊の慰問団の一員として舞台に立った。昭和19年米軍機の機銃掃射に遭い、手を引いていた下級生が撃ち殺されたが、自身は危うく難を逃れた。21年京都に引き揚げると知人を頼って芝居の世界に入り、中村魁幸一座、瀬川信子劇団を経て、芦の家雁玉率いるコロッケ劇団に入り芸名・芦の家春一を名乗った。22年15歳の時に2代目桂春団治から“落語家にならへんか”と声をかけられたが落語を聞いたことがなかったため断ると、雁玉と林田十郎から“なんちゅうもったいない”と説得され、改めて春団治に入門、春坊の名をもらった。師の没後小林一三が作った宝塚若手落語会に加わり、同会が消滅すると宝塚新芸座で芝居を始めたが、33年誤って10メートル下の舞台の地下に転落する事故に遭い、約2年間の寝たきり状態が続いた。その後、落語の世界に復帰し、35年小春団治と改名。43年2代目露の五郎を襲名。平成6〜15年上方落語協会会長。17年2代目露の五郎兵衛を襲名、落語の祖とされる大名跡の300年ぶりの復活となった。古典も新作もこなし、特に怪談を得意として“怪談の五郎”と呼ばれた。一方、消滅しかけていた大阪仁輪加(にわか)の芸も学び、仁輪加師でもあった。書に「上方落語夜話」「なにわ橋づくし」「五郎は生涯未完成」などがある。

受賞
紫綬褒章〔平成12年〕,旭日小綬章〔平成18年〕 大阪文化祭賞〔昭和44年〕,大阪府民劇場奨励賞〔昭和48年〕,芸術祭賞〔昭和60年〕「露乃五郎の会」,大阪市民文化功労表彰〔平成5年〕,上方お笑い大賞(審査員特別賞)〔平成6年〕,西宮市民文化賞〔平成10年〕,兵庫県文化賞〔平成10年〕,大阪府知事表彰〔平成12年〕

没年月日
平成21年 3月30日 (2009年)

伝記
落語「通」入門おかげさんで―落語家露の五郎とともに上方落語のはなし 桂 文我 著明田川 紗英 著露の 五郎 著(発行元 集英社東方出版朝日新聞社 ’06’99’92発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

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