青年ドイツ(読み)せいねんどいつ

世界大百科事典(旧版)内の青年ドイツの言及

【ウィーン体制】より

…しかし,39年のブランキスト蜂起に参加したため,パリの同盟組織は崩壊し,以後同盟はパリ,ロンドン,スイスに分かれて活動することとなる。スイスではワイトリングに指導された義人同盟のほか,マッツィーニの〈若きヨーロッパ〉の流れをくむ〈若きドイツ(青年ドイツ)Junges Deutschland〉が活動し,反封建的絶対主義と外国支配からの人民解放をその闘争目標としていた。
【1840年代】
 ドイツおよびオーストリアにおける狭義の〈三月前期〉は,1840年以降をさす。…

【青年イタリア】より

…この対立を通して青年イタリアの運動にはナショナリズムの性格が強められた。サボイア蜂起は失敗に終わるが,計画に加わったポーランド,ドイツの活動家の間で,それぞれ青年ポーランド,青年ドイツがつくられ,34年4月これらナショナリズム運動の連帯のための青年ヨーロッパが結成された。マッツィーニはその後,スイスを経て37年ロンドンに亡命地を移し,この地で接したチャーチスト運動から労働者の組織化の必要を学び,青年イタリアの一部門としてイタリア労働者連合を設立する。…

※「青年ドイツ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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