非線形光学(読み)ひせんけいこうがく(英語表記)nonlinear optics

改訂新版 世界大百科事典 「非線形光学」の意味・わかりやすい解説

非線形光学 (ひせんけいこうがく)
nonlinear optics

強い光を作り出せるレーザーの出現によって開かれた新しい光学の分野。光は電磁波であって,光を受けた物質の内部では,その電磁場に対する応答が,光の周波数で振動する電気分極や電流の形で現れ,これが源となって光の吸収,反射,散乱,発光などさまざまな光学現象が生ずる。ふつうの光(弱い光)に対しては,この応答が光の電磁場に比例するような線形効果しか現れないが,レーザーのような強い光を用いると,比例関係からはずれた非線形特性が容易に生じ,この効果がもとになって,さらに多彩な現象が出現する。これらの現象全体およびその応用を扱う分野を非線形光学という。非線形光学現象は,レーザー光の出現とともに発展してきたのであるが,光学現象全体を見渡した場合,非線形光学効果が一般的であって,通常の光のもとで観測される線形効果は,その一つの極限を示すにすぎない。

非線形光学効果の端的な現れは,物質への入射光とそれによって発生する光との間の各種の波長(周波数)変換過程である。もっとも簡単な過程として,周波数νの入射光に対しmν(mは整数)の周波数(波長はm分の1になる)の光を生ずる高調波発生がある。これを一般化した現象として,異なる周波数ν1,ν2,……の複数個の入射光を用いて,その結合周波数ν=m1ν1±m2ν2±……(m1m2は整数)の光を発生する光混合がある。また,周波数ν0の1個の入射光によって,ν0=ν1+ν2の関係を満たすν1,ν2の周波数の光を発生するパラメトリック過程がある。これは,2種の光混合過程ν1=ν0-ν2,ν2=ν0-ν1の結合によって,初めから存在するν1,ν2の微弱光が急激に増幅される現象である。周波数ν0の光を物質にあてると,一般に物質固有の周波数νγだけずれた周波数νs=ν0±νγの光(散乱光)を生ずる光散乱が起こる。入射光が弱い場合は散乱光の強度は入射光の強度に比例するが,入射光が強くなると増幅作用が生じて,強力でコヒーレントな散乱光が発生する。これは誘導散乱と呼ばれる。

 光に対する物質の吸収率や屈折率はふつうは定数であるが,光が強くなると光強度によって変化するようになる。弱い光に対しては強い吸収のためほとんど不透明な場合でも,飽和効果によって光強度とともに透過率が増大し,逆に,弱い光に対しては透明な場合でも,強い光に対しては必ず吸収が起こるようになる。これは光を光子(フォトン)の集りと見た場合,複数個の光子が同時に吸収される多光子吸収として説明される。このとき,物質は高いエネルギー状態に励起されるだけでなく,イオン化や分子の解離などの物質変化も起こる。一方,屈折率は一般に光強度とともに増大する。この性質のため,強い光が物質中を伝搬するとき,自分自身の性質をかえていく自己作用が起こる。例えば,光ビームが自然に細くなる自己集束,光パルスのスペクトルが広がる自己位相変調,偏光の回転を起こす現象などがある。

 光の周波数が物質粒子の運動の固有周波数に共鳴して強い相互作用があるとき,量子力学によると,十分短い時間内では物質粒子は波動のようにふるまい,特異な現象が現れる。例えば,光パルスがまったく吸収も変形も受けず完全に透過してしまう自己誘導透過,入射光とは時間的にまったく離れた領域にコヒーレント光波を生ずるフォトンエコーなどがある。これらを非線形コヒーレント過渡現象と呼ぶ。以上は非線形光学現象の代表例を示しただけで,実際にはさらに多くの現象がある。

 このような非線形効果を生ずる源は原子分子のスケールの中にある。ミクロな粒子間の相互作用を支配するポテンシャルには必ず非調和性が含まれており,これが非線形性の主因になる。また1個の荷電粒子に対しても光の電場と磁場が結合した作用によって非線形性が生ずる。したがって,程度の差はあれ,どんな物質にも非線形光学効果がある。通常の気体,液体,固体はもちろん,プラズマ,生体,真空中の粒子ビームなどもすべて非線形光学の対象となる。

非線形光学では,現象自体が研究対象になるばかりでなく,広い応用分野がある。電波のエレクトロニクス非線形現象が多彩な機能をもたらすのと同様に,非線形光学効果はコヒーレント光の発生,制御,測定に有効に利用される。レーザー自体の中でも非線形現象は光の性質を決めるのに重要な役割を果たしている。非線形効果による波長変換は,レーザー光だけでは満たされない波長域を埋めたり,広域波長可変光源を実現するのに有効である。そのほか,光の高感度・高分解能測定,光の波形やスペクトルの制御などにも非線形効果は広く利用される。また非線形光学現象は,物質の性質を変化させたり,調べたりする目的にも有用である。例えば,レーザー誘起化学反応,レーザー同位体分離,レーザーによる物質処理などで重要な役割を果たしている場合が多い。また,光学現象から物質の原子的構造や原子的諸過程を調べる分光学の分野では,非線形現象を利用すると,線形現象に比べて,より豊富な,質の高い情報が得られる。これを非線形分光学という。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「非線形光学」の意味・わかりやすい解説

非線形光学
ひせんけいこうがく
nonlinear optics

一般に、光が物質に入射したときに、光の振幅に比例(線形)した反応(効果)として屈折率の変化などが現れる。しかし、入射光の強度(振幅)が大きい場合、入射光振幅の2乗(二次)または3乗(三次)以上の高次(比例関係からずれた非線形)の効果が現れ、それらを非線形効果という。このような非線形効果を扱う光学分野を非線形光学とよぶ。光の強度が大きいレーザーの出現により、非線形効果が注目されるようになった。非線形効果は光と媒質の相互作用の量子力学的対応でもあり、さまざまな場面に応用されている。

 非線形光学現象としては以下のものがある。

(1)光高調波発生 入射波長を半分(第二次)または3分の1(第三次)にして発生する現象。赤外波長のレーザー光を緑色のレーザー光にする第二次高調波発生器(SHG:second harmonic generator)として実用化されている。

(2)光混合 入射する異なる二つの周波数の光を混合して二つの光の周波数の和や差を発生させる。レーザ光の波長変換に利用されている。

(3)光パラメトリック効果 放出される二つの光の周波数の和が入射光の周波数に等しくなる現象。波長変換などで誘導ラマン散乱として利用されている。

(4)電場依存屈折率変化 ポッケルス効果やカー効果などの電気光学効果。かける電場の強度によって屈折率が変化する現象で、光シャッターや光強度変調器として利用されている。

(5)非線形屈折率変化 入射光により屈折率が変化する現象。透過光強度が入射光強度の履歴に依存する場合は光双安定性スイッチとして利用される。レーザー光の自己集束によるレンズ効果もある。

 その他に4光波混合による位相共役鏡(入射光と同じ位相の光を反射する)や、光パルスの形状が崩れにくい光ソリトンなど多様な現象がある。

[山本将史 2022年7月21日]

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化学辞典 第2版 「非線形光学」の解説

非線形光学
ヒセンケイコウガク
nonlinear optics

物質の電気的な分極が,電場の強さに比例しないことにもとづく光学現象を対象とする分野.レーザー光のように光子密度が高く,その電場の強さが非常に大きくなると,光の電場による物質の分極は電場の強さに比例せず,分極率が電場の強さに依存するようになる.そのようなとき,通常の光の場合には認められなかったような種々の光学現象が現れる.たとえば,多光子吸収のように一度に何個もの光子を1個の原子や分子が吸収したり,入射光の振動数の整数倍の振動数をもつ光(入射光の高調波)が発生する光高調波,あるいは2種類の光の振動数の和あるいは差の振動数をもつ光が発生する光混合,さらには異常に強いラマン光が特定の方向に出る誘導ラマン効果,光の屈折率が変化するために起こる光の自己集束作用など,多くの現象が見いだされている.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「非線形光学」の意味・わかりやすい解説

非線形光学
ひせんけいこうがく
nonlinear optics

通常の光学が,入射光波の振幅に比例して重ね合せの原理が成り立つ光学現象を扱う線形光学であるのに対し,入射光波の振幅に比例しないで2乗以上の高次効果として現れる光学現象を扱う光学の分野を非線形光学という。レーザー光の出現によって,光高調波の発生を含む光混合,誘導ブリユアン散乱多光子遷移,光の強度による屈折率の変化など多くの現象が観測されている。非線形効果が現れるのは,レーザー光のようにエネルギー密度の大きい電磁場のもとではポテンシャルの2乗近似が成り立たなくなるためである。さらに詳細な理論的考察は量子力学の摂動論を用いてなされる。

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百科事典マイペディア 「非線形光学」の意味・わかりやすい解説

非線形光学【ひせんけいこうがく】

レーザーの出現によって開かれた新しい光学の分野。ふつうの(弱い)光については,吸収・反射・散乱・発光などのさまざまな光学現象が光の電磁場に比例するような線形効果しか現れないが,レーザーのような強い光では比例関係からはずれた非線形特性が容易に生じ,たとえば光パルスがまったく吸収も変形も受けず完全に透過してしまう自己誘導透過や入射光とは時間的にまったく離れた領域にコヒーレントな光波を生ずるフォトンエコーなどの多彩な現象が出現する。これらの現象全体およびその応用を扱う分野を非線形光学といい,とくにその応用面の有用性が注目されてきている。

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