須藤惣左衛門(読み)すどうそうざえもん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「須藤惣左衛門」の意味・わかりやすい解説

須藤惣左衛門
すどうそうざえもん
(1497―1574)

戦国期の後北条(ごほうじょう)氏家臣で職人頭(がしら)。実名は盛永(もりなが)。惣左衛門は通称。父資光(すけみつ)も子の盛良(もりよし)も惣左衛門を名のる。資光が北条早雲(そううん)に駿河(するが)から随伴して家臣となり、子の盛永は父の遺領を継いだ。北条氏康(うじやす)が作成させた『小田原衆所領役帳』によれば、伊豆・相模(さがみ)で計200貫文と職人衆の細工銭61貫文を所領した。北条氏綱(うじつな)の行った鎌倉鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)造営において銀奉行(ぶぎょう)を勤め、1559年(永禄2)にはすでに職人頭で、大工、鍛冶(かじ)、革作(かわた)、大鋸引(おがびき)、青貝師(あおがいし)、左右師(つかぞうし)(刀のつか職人)、縫師(ぬいし)、石切(いしきり)、紙漉(かみすき)などの各職人を配下にし、築城などにも活躍した。『小田原衆所領役帳』にみえる家臣団560人中、所領役高では上位20番目に位置し、上級家臣であった。子の盛良も同じく職人頭を勤め、90年(天正18)の小田原合戦に鉄砲隊を率いて戦った。のち徳川氏の旗本となり、98年(慶長3)から武州多摩郡森野村(東京都町田市森野)を知行(ちぎょう)した。

[下山治久]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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