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江戸後期の儒者。名は惟柔(ただなご)、字(あざな)は千祺(せんき)、通称は万四郎、号を杏坪という。安芸(あき)(広島県)の人。春水(しゅんすい)の弟。春水に招かれて大坂に遊学し、さらに春水に従って江戸に行き服部栗斎(はっとりりっさい)(1736―1800)に学んだ。春水と同じく広島藩の儒官となり、朱子学の興隆に努め、かたわら甥(おい)山陽(さんよう)の教育にも力を注いだ。のち町奉行(ぶぎょう)となって民政に専念し、治績をあげた。著書に『原古編(げんこへん)』(1790)『春草堂詩鈔(ししょう)』(1833)などがある。
[石毛 忠 2016年7月19日]
『重田定一著『頼杏坪先生伝』(1908・積善館)』
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(水田紀久)
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…比熊山南麓の鳳源寺には初代三次藩主浅野長治の墓,長治の五女で播州赤穂藩主浅野長矩の夫人瑶泉院(阿久利姫)の遺髪塔,大石良雄手植えと伝える枝垂桜がある。頼山陽の叔父で三次町奉行も務めた頼杏坪(らいきようへい)の役宅〈運甓居(うんぺききよ)〉も残る。市域東部,馬洗川南岸の丘陵にあり,170基以上の古墳からなる浄楽寺・七ッ塚古墳群(史)は〈みよし風土記の丘〉として整備され,一画には県立歴史民俗資料館がある。…
…江戸後期の儒学者,詩人。名は襄(のぼる),字は子成,通称は久太郎,山陽は号。別号三十六峰外史。朱子学者頼春水の長男として大坂に生まれ,1781年(天明1)春水の広島藩儒登用後,しばらくして広島に移居。叔父杏坪(きようへい)の指導で素読を始め,9歳で学問所に入学,早くより詩文に才をあらわした。1797年(寛政9)より約1ヵ年江戸に遊学し尾藤二洲(びとうじしゆう)に師事。この前後,ときに気鬱の病を発していたが,1800年脱藩,連れ戻されて一室に幽閉された。…
※「頼杏坪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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