朝日日本歴史人物事典 「飛騨屋久兵衛(初代)」の解説
飛騨屋久兵衛(初代)
生年:延宝2(1674)
江戸中期,蝦夷地場所請負商人。飛騨国益田郡湯之島村(岐阜県下呂町)で木材請負業武川久右衛門の長男に生まれ,倍行と称した。下呂を拠点とする同家は,久兵衛が元禄9(1696)年木材の大市場である江戸進出を果たし,以後次第に発展,飛騨屋と号した。下北の大畑(青森県大畑町)を経て同15年松前にも進出し,蝦夷地産の木材を江戸市場などに送って巨利を得た。「碌々と山間に生涯を終らんよりは寧ろ他国に出て事を成す」との意志が強く,この冒険的事業家としての性格が,成功の要因であったと思われる。 以後代々久兵衛を名乗るが,2代目までは山林事業。3代目は安永2(1773)年,松前藩への巨額の貸付金の代償としてアッケシ,クナシリなどの4場所を請負い,山林経営から漁業経営に転換してゆく。しかし4代目は,アイヌ酷使のため寛政1(1789)年のクナシリ,メナシのアイヌ蜂起にかかわって,松前藩から場所を没収された。<参考文献>根室シンポジウム実行委員会編『三十七本のイナウ』
(桑原真人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報