飛鳥皇女(読み)あすかのひめみこ

朝日日本歴史人物事典 「飛鳥皇女」の解説

飛鳥皇女

没年文武4(700)
生年:生年不詳
7世紀の天智天皇皇女。母は嬪橘娘(阿倍倉梯麻呂の娘)で新田部皇女の同母姉。明日香皇女にもつくる。『紹運録』には忍壁皇子の妃とあるが,確証はない。持統6(692)年,持統天皇が皇女の田荘に行幸している。晩年は長く病床にあったらしく,8年,皇女のために沙門104人を出家させたが,これは異例の数である。薨じたとき浄広肆。柿本人麻呂による皇女への挽歌は,草壁皇子,高市皇子への挽歌と並ぶ傑作である(『万葉集』)。皇女の業績は不明であるが,残された史料からみて,持統朝では皇族として重きをなしていたのであろう。

(梅村恵子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飛鳥皇女」の解説

飛鳥皇女 あすかのおうじょ

?-700 飛鳥時代,天智(てんじ)天皇の皇女。
母は橘娘(たちばなのいらつめ)。「日本書紀」によれば,持統天皇6年(692)天皇は皇女の別荘にでかけ,2年後に皇女のために,104人を僧とした。文武(もんむ)天皇4年4月4日死去。その際に柿本人麻呂(かきもとの-ひとまろ)がよんだ歌が「万葉集」巻2におさめられている。明日香皇女ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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