食糧管理制度(読み)しょくりょうかんりせいど

精選版 日本国語大辞典 「食糧管理制度」の意味・読み・例文・類語

しょくりょうかんり‐せいど ショクリャウクヮンリ‥【食糧管理制度】

〘名〙 昭和一七年(一九四二)制定の食糧管理法に基づいて実施された制度。米・麦などの主要食糧について国が管理し、その需給と価格の調整、流通の規制を行なった。平成七年(一九九五新食糧法(正称「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」)の施行に伴い廃止。食管制度

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デジタル大辞泉 「食糧管理制度」の意味・読み・例文・類語

しょくりょうかんり‐せいど〔シヨクリヤウクワンリ‐〕【食糧管理制度】

食糧管理法に基づき、米・麦などの主要食糧について国が管理し、その需給と価格の調整、ならびに流通の規制を行う制度。平成7年(1995)、同法の廃止により食糧制度に移行。食管制度。→食糧制度

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「食糧管理制度」の意味・わかりやすい解説

食糧管理制度
しょくりょうかんりせいど

太平洋戦争の開始に伴って1942年(昭和17)に制定され、1994年(平成6)まで続いた食糧管理法(食管法)に基づく、主要食糧の国による管理・統制の制度。食管制度と略称される。

[持田恵三]

改正食管法

食管法は1981年(昭和56)に大幅に改正され、1982年から施行された。この改正によって、戦時の配給統制立法としての旧食管法の性格はなくなり、現実に即した流通規制の制度を目ざしたが、部分的改正では追い付かないようになり、1994年に食糧管理法は廃止され、「食糧法」の制定により制度は大幅に変更された。

 食管法の下での食管制度は米と麦を対象としており、1982~1994年当時の大要は次のとおりであった。

[持田恵三]

農林水産大臣は毎年米穀の管理に関する基本計画をたてる。この計画によって、政府が管理するとした米を、政府が指定した集荷業者を通じて買い入れるが、これがいわゆる政府米である。この量はその年の需給計画によって決まる。このほかに、自主流通米が公認されている。これは基本計画の枠内ではあるが、直接政府に売り渡す必要はなく、指定集荷業者から消費地の卸商人に売ることができる。また、農家が非営利的な目的で行う米の譲渡(贈与)も認められる。この農家による譲渡を除けば、自主流通米を含めて、米の流通は全量国家管理の下に置かれていた。米の販売業者(卸、小売り)は都道府県知事の許可を受けねばならず、自由に営業できない。しかし、消費者が米を購入するのは自由である。ただ米の需給が著しく逼迫(ひっぱく)するような非常事態に際しては、消費者に対し配給制度を復活できる。

 生産者から政府が買い入れる米価(生産者米価)は、再生産の確保を旨として決めることになっているが、米過剰と財政状態の悪化のため、1977年以来ほとんど据え置かれてきた。自主流通米の価格は、1990年からは自主流通米価格形成機構での年5回ぐらいの入札によって各銘柄ごとに価格が決まり、それに基づいて取引された。その売渡価格から経費を引いたものが農家の手取りとなる。政府米の売渡価格は、消費者家計の安定を旨として決めることになっているが、事実上、財政事情、食管赤字を考慮して決められており、1977年以降も徐々に引き上げられてきた。なお、自主流通米の価格も政府米売渡価格に応じて値上りしてきた。

 米の消費者価格は統制されておらず、小売業者の自由に任されていた。しかし標準価格米、徳用上米については、行政指導によって価格が決められており、また標準価格米は小売商が常置するよう指導されているが、徳用上米は販売量がきわめて少ない。小売店ではこのほか、自主流通米などを原料とした数種類のより良質な米が販売されており、その価格は自由であるが、都道府県の指導でそう大差はなかった。米価体系の問題点は、政府買入価格と売渡価格(ないしコスト価格)の逆ざやであり、これが食管会計の赤字をもたらし、一般会計からの繰り入れを必要としていた。自主流通米についても、政府米の逆ざやの影響で、さまざまな奨励金によってその流通が維持されており、その単位当りの財政負担は、政府米の73%(1984年)に達した。

 食管制度下の米集荷の95%(1984年産集荷量)は農業協同組合であり、5%が商人であった。農協は米集荷の独占によって、手数料、倉庫料、米代金の農協預金化などの大きな利益を食管制度の下で得てきた。1994年における米卸売業者数は277で、うち過半が小売商の協同組合である。小売商は7万1891で(営業所)、若干増加傾向にあった。

[持田恵三]

麦の流通は統制されてはおらず、ただ生産者から一定の価格で政府が買い入れ、一定の価格で業者に売り渡す。しかし大幅な逆ざやのため、ほとんど全量(食用麦)を生産者は政府に売っており、国内産の麦についても食管会計は大きな赤字となってきた。なお、食管制度では米麦ともに貿易は国家管理の下に置かれており、麦はその大部分を輸入に依存しているが、輸入麦については大部分の年度は黒字を出していた。

[持田恵三]

歴史

食糧管理制度は1942年(昭和17)の食糧管理法に始まるが、その前にも、1921年(大正10)の米穀法以来の長い米穀統制の歴史があった。この前史の大部分は、恐慌下の米価低落に対応する価格支持政策であったが、1939年ごろから米不足が激化し、ついに戦時統制立法としての食管法の成立をみたのである。戦時・戦後の食糧不足時代の食管制度は、不足する主要食糧(当初は米麦、いも類、雑穀)を、国民に公平に配給することを主要目的とし、その配給量を確保するために、生産者から自家保有分を除いたいっさいの主要食糧を強制的に買い上げる(供出)ものであった。同時に生産者からの買入価格、政府の配給業者への売渡価格、消費者への販売価格はすべて公定され、この統制に対するいっさいの違反は、生産者から消費者に至るまで刑事罰の対象とされた。消費者は配給通帳なしには主要食糧は購入できず、生産者は贈与を含めて政府以外への譲渡はまったく禁止された。

 第二次世界大戦後、食糧不足は深刻化し、食管制度の役割は大きくなったが、一方、強権的な供出制度はしだいに弱まり、経済的手段による生産者からの食糧の確保が中心になっていった。食糧不足の緩和とともに、1950年いも類、1951年雑穀が食管制度の対象から外され、麦も1952年から間接統制になり、米だけが直接統制に残されたが、米の供出制も1954年までで終わり、以後、予約売渡制になった。

 1955年の米の豊作を契機として米管理の機能もしだいに変化し、供出促進より、生産者米価による米作農民の所得補償に中心が移ったが、1960年の生産者米価決定方式に、生産費・所得補償方式が導入されるに至って、食管制度は決定的に米作農民の保護の体制となった。さらに1967年から始まる米過剰時代がもう一つの転機となった。過剰米と財政負担が食管制度の最大の問題となり、1970年から生産調整が行われるようになったのである。以後、過剰米対策が食管制度の最大の問題となり、生産者米価は抑制的に決められるようになった。

 米過剰は、増加する生産と減少する消費との矛盾であったが、食管制度は品質の面でも消費者のニーズにこたえることができなかった。そのため良質米需要への対応と財政負担軽減のために、自主流通米(1969年)、消費者米価自由化(1972年)などを中心として、市場メカニズムの導入が行われたのである。1960年代以降食管制度は、その本来の配給統制的性格からまったく離れ、法律と実態との乖離(かいり)は著しくなり、ついに1981年に実態追認的な食管法改正が行われ、さらに1994年食管法は廃止され「食糧法」にかわったのである。

[持田恵三]

『『食糧管理史』全10冊(1969~72・食糧庁)』『近藤康男編『日本農業年報第17集 食管制度――構造と機能』(1968・御茶の水書房)』『近藤康男編『日本農業年報第28集 食管――80年代における存在意義』(1980・御茶の水書房)』『持田恵三著『日本の米――風土・歴史・生活』(1990・筑摩書房)』『大内力編『日本農業年報第42集 政府食管から農協食管へ』(1995・農村統計協会)』『食糧庁総務部企画課内食糧制度研究会編著『知っておきたい食糧法』(1996・大蔵省印刷局)』

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改訂新版 世界大百科事典 「食糧管理制度」の意味・わかりやすい解説

食糧管理制度 (しょくりょうかんりせいど)

〈食糧管理〉とは広義には食糧の生産,流通,消費にかかわる一定の国家管理の総称であるが,通常の用法では,食糧管理制度(略して食管制度)とは,1942年制定の食糧管理法に基づく政府による主要食糧の管理のシステムを指す。食糧管理法の目的は〈国民食糧ノ確保及国民救済ノ安定ヲ図ル為〉(1条)と規定されており,それを実現する手段として〈食糧ヲ管理シ其ノ需要及価格ノ調整並ニ配給ノ統制ヲ行フ〉(1条)こととされている。すなわち食糧(その内容は時代とともに変化する)の流通全量(総生産量から農家の自家消費保有部分を除く全量)について,その集荷,買入れ,保管,売渡し,配給等について一元的に政府の管理体制のもとにおき,かつ政府買入価格(生産者価格)と配給価格(消費者価格)はそれぞれ別個の原理に基づく算定方法によって定める行政価格が決定されることとされ,さらに以上のような食糧管理にかかわる業務を経理し,財政的に総括するために食糧管理特別会計が設置されている。

 食管制度の前身は1921年の米穀法までさかのぼることができる。米騒動を契機に米の需給調節と米価の乱高下を安定させる目的で米穀法が制定されたものの,当初は米価の安定機能はさして持たなかった。30年代の昭和農業恐慌下の米過剰と米価の低落に対処するため31年に米穀法の改正,33年に米穀統制法が制定されるに及び,価格調節機能が強化された。この時期にはなお米は直接統制ではなく市場流通を前提とした間接統制であったが,30年代後半の戦時経済への移行とともに米は過剰から一転して不足の状態に変化した。こうしたなかで39年には米穀配給統制法を制定し米穀取引所を廃止し,ついで同年秋に価格統制令により米価を公定し,翌40年に臨時米穀配給統制規則を,さらに米穀管理規制を定め,41年4月からは六大都市に米の配給制がしかれ,しだいにそれは全国に及び,40-41年に米の直接統制は事実上実施されていたが,これらの諸法令,諸制度を総合化するものとして42年食糧管理法が制定されたのである。食管制度の推移をみると大きく4期に区分することができる。第1期は制度発足から55年の米の大豊作を契機とする事前売渡申込制の実施前まで,第2期は55年から69年の自主流通米制度の実施までの時期,第3期は70年から82年の食糧管理法の改正法施行まで,第4期は食糧管理法改正法の施行後現在までである。

 (1)第1期の基本的特徴は食糧管理法の目的・内容をそのまま実現するかたちで運営されたところにある。戦時,戦後の食糧の絶対的不足のもとで供出割当制により強権的に生産者農民から低価格で集荷し,限られた食糧を国民に平等・公平に配給するところにねらいがおかれていた。戦時,戦後には統制の対象となる食糧は米,麦,雑穀,いも類等も含まれていたが,50年にいも類,52年に麦類が統制の対象から除外され,麦類は間接統制へ移行し以後直接統制の対象は米に限定された。(2)55年の米の大豊作により米の需給が大幅に緩和したことにより,従来の供出割当制から生産者の事前売渡申込制へ移行するとともに,一般配給基準量の引上げも行われ,統制的性格は大幅に後退した。また米価は60年から生産費および所得補償方式が採用され,生産者米価は年々上昇し他の農産物に比べ相対的高価格で推移したが,それは一面では米生産を促進することになり米の供給過剰につながった。他面生産者米価に比べて消費者米価は抑制的に推移したため生産者米価と消費者米価との間のいわゆる逆ざやが拡大し,食管赤字(健保,国鉄と合せて3K赤字という)の増大がもたらされた。(3)60年代半ばの時期に米の需給事情は一変する。米の総需要量は63年にピーク(1341万t)となり以後減少の一途をたどるが,生産は67年から3年連続して1400万t台に達し,政府古米在庫は激増する。不足する食糧の公平な配分という食管制度の理念を前提とした枠組みはこの時期から揺らぎはじめ,次々と制度改正が実施された。69年の政府の直接管理外流通を認める自主流通米制度の新設,69年から始まる米の生産調整政策,71年産米からの政府買入限度数量の設定,72年の消費者米価の物価統制令適用廃止などの措置であり,食管制度の基幹をなすシステムの改廃を含むものであった。(4)こうした制度運営の改正をふまえて食糧管理法の改正が行われる(1982年1月15日施行)。改正の主要な点は(a)米穀通帳の廃止,(b)個人による米の贈答の容認,(c)米の卸,小売を登録制から許可制に変更し新規開店と競争原理の導入,(d)米の配給制度の廃止にともない米穀管理基本計画の策定,などの諸点である。

執筆者:

1990年には自主流通米価格形成機構が設立され,価格形成に市場原理が導入されることになった。こうしてGATTのウルグアイ・ラウンド終結による米輸入の恒常化と,政府管理米の7割を自主流通米が占め,やみ米(自由米)が流通量の3割にも達する事態に直面して,食管法は部分的改正では済まされなくなり,95年に食糧法に引き継がれ,食管制度の転換が行われることになった。主要な改正点は,(1)自主流通米を中心とした民間流通を基本とする,(2)価格決定の影響を政府米にまで及ぼし,市場原理のいっそうの活用を図る,(3)備蓄(政府米),生産調整,ミニマム・アクセスによる輸入米(政府米)を法制化し,政府と民間の役割分担を明確化する,(4)生産者の政府への売渡義務を廃止し,多様な流通ルートを認める,などである。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「食糧管理制度」の意味・わかりやすい解説

食糧管理制度【しょくりょうかんりせいど】

主要食糧の需給,価格を政府が管理する制度。日本では食糧管理法(1942年)に基づいて,戦時食糧不足期に発足。米麦,芋類,雑穀等を対象に生産者からの買入,消費者への配給,価格等を政府の統制下においた。戦時・戦後の欠乏期を経て,需給緩和に伴い米麦以外の統制を解き,1952年麦は,政府が無制限に最低価格,最高価格で買いに応じ,売りに応じて,この間に価格を安定させる間接統制になり,1955年米も割当供出制から予約売渡制になった(供出制度)。この制度の財政措置として食糧管理特別会計が設けられたが,二重米価による逆ざやの赤字累積や連年の豊作で制度の改廃が問題になった。1969年からこの特別会計を経由しない自主流通米の制度も実施された。さらに1982年の配給制度の廃止,1988年の卸・小売の営業区域拡大など,一連の流通自由化政策が採られてきた。現在,政府の価格規制があるのは,政府米の生産者価格および売渡価格だけであり,自主流通米価格や消費者米価などは自由化されている。また1995年11月から食糧需給価格安定法(食糧法)が施行されるなど,当初のものとは大きく異なった制度となっている。
→関連項目減反政策農産物検査法米価問題

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「食糧管理制度」の解説

食糧管理制度
しょくりょうかんりせいど

1942年(昭和17)制定の食糧管理法にもとづく食糧(はじめ米・麦・雑穀・芋)の管理制度。第2次大戦時の食糧不足に対処したもの。生産者は自家保有量以外を政府に公定価格で供出,政府は食糧営団などを通じて米穀通帳などにより公定価格で消費者に配給する。違反には刑事罰が適用されたが,闇取引も進行した。戦後には供出は食糧緊急措置令と食糧確保臨時措置法による強化・改変がなされ,49~50年の食糧不足緩和以降,芋・雑穀は対象から除外,麦は間接統制となり,米も54年を最後に予約売渡し制へ移行した。55年の大豊作以後米価維持が主眼となり,60年から生産者価格の決定が生産費・所得補償方式となる。60年代末から過剰米処理が問題化し,70年から減反政策開始。過剰下の価格維持は財政を圧迫し,生産者価格が抑制された。69年の自主流通米認可,72年の消費者米価自由化など制度が大きく変貌したため,81年食糧管理法が全面的に改正された(82年施行)。90年(平成2)産米からは自主流通米の入札制度が開始され,その流通割合は高まっている。93年産米の凶作と大量の米穀輸入,輸入自由化をめぐる内外の要請の高まりと政府の一部輸入容認は,制度の根幹を揺るがし,95年11月には食糧管理法は廃止され,新食糧法が施行された。2004年には,誰でも米の販売・流通ができるよう改正された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「食糧管理制度」の意味・わかりやすい解説

食糧管理制度
しょくりょうかんりせいど

食糧の需給安定のために,米,ムギなどの主要食糧の生産,流通,消費を国が直接,間接に統制する制度。1942年,食糧管理法によって,米,ムギ,イモ類,雑穀など主要食糧の広範な管理制度が確立したが,第2次世界大戦後の需給好転に伴い,1969年に自主流通米制度が導入され,1972年に消費者米価物価統制令の適用から除外されるなど,徐々に間接統制に移行し,1995年に民間流通を機軸とする主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(食糧法)が施行され,食糧管理法は廃止された。食糧管理制度の名称も食糧制度という呼称となった。食糧法はその後も改正が行なわれ,米の販売の自由化などが進んだ。

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世界大百科事典(旧版)内の食糧管理制度の言及

【供出】より

…食糧管理制度のもとで1942年から54年にかけて行われた,農民から米麦,雑穀,いも類の主要食糧の一定量を,政府が決めた価格で強制的に買い上げる方式。食管制度は戦中,戦後の食糧不足時代に,主食の国家による直接統制・管理によって,消費者に一定の主食配給量を確保することを目的としていた。…

【農産物価格政策】より


[政策の類型]
 (1)管理価格制度 米と葉タバコが対象品目。米については政府(葉タバコは日本専売公社,1985年4月以降は日本たばこ産業株式会社)が作付面積を決め,自家飯米を除く流通量を政府の管理下におき(〈食糧管理制度〉の項参照),政府が一定価格で買い上げる制度である。1968年までは流通量全量が政府対象になったが,69年から政府の需給計画下にはあるが政府が買わない自主流通米制度が始まり,89年産米以降は自主流通米が政府管理米の7割以上を占めるまでになっている(葉タバコは全量買上げ)。…

※「食糧管理制度」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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