館山(市)(読み)たてやま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「館山(市)」の意味・わかりやすい解説

館山(市)
たてやま

千葉県南部、浦賀(うらが)水道と太平洋に面する市。1939年(昭和14)安房(あわ)郡館山北条(ほうじょう)、那古(なご)、船形(ふなかた)の3町が合併して市制施行。1954年(昭和29)西岬(にしさき)、神戸(かんべ)、富崎(とみさき)、豊房(とよふさ)、館野(たての)、九重(ここのえ)の6村を編入。地名は丘陵上に城を築いたことに由来する。館山湾奥に地溝帯の館山平野があり、洲崎(すのさき)の岬を境として南には平砂浦(へいさうら)の砂浜海岸が続き、その北に安房丘陵の山間地域が広範囲に展開する。交通はJR内房(うちぼう)線、国道127号、128号、410号が走るほかバス網が充実している。鉄道開通前は海上交通の拠点であった。阿波国造(あわくにのみやつこ)の支配後、隣接する南房総(みなみぼうそう)市に安房国府(あわこくふ)が置かれ、中世には里見氏(さとみうじ)が勢力を伸ばして、9代義康(よしやす)が1590年(天正18)に館山城を築いて本拠地とした。関ヶ原の戦い後は2万8000石の加増を受けたが、1614年(慶長19)伯耆(ほうき)国(鳥取県)倉吉(くらよし)へ移され、幕府直轄地と旗本領となって廃城に帰した。1982年(昭和57)に3層4階建ての天守閣をもつ館山城が城山公園に復原されて、観光資源としての質が高まった。公園内に市立博物館があり、館山城内は八犬伝博物館として『南総里見八犬伝』の資料を展示している。明治中期以降、第一艦隊の停泊地であった館山は、1930年(昭和5)館山海軍航空隊、その後は洲崎航空隊、海軍砲術学校などが設置されて軍都として栄え、現在海上自衛隊に引き継がれている。農業は米作をはじめ野菜栽培や酪農が盛んで、冬季の温暖な気候のもとで花卉(かき)栽培も広く行われる。漁業も近世期に紀州漁民が伝えた八手網(やつであみ)イワシ漁業の歴史をもち、今日ではカツオ・サバの漁獲が多く、カツオ餌(えさ)のカタクチイワシの養殖も全国に知られている。安房地方の中心都市として商工業も盛んで、伝統的な房州うちわも生産される。館山湾(鏡ヶ浦(かがみがうら))の北条海岸は海水浴場としてにぎわい、また「房総の漁業に関わる文化と生活」をテーマにした市立博物館の分館があり、房総半島の漁撈用具(国指定重要有形民俗文化財)などを展示。その北にある大福寺の「崖(がけ)の観音」は僧行基(ぎょうき)が崖に十一面観音像を刻んだのが始まりと伝えられ、朱塗りの観音堂が断崖(だんがい)に張り付いていて特異である。南房総国定公園に属し、休暇村館山、洲崎灯台、館山ファミリーパーク、ゴルフ場、野鳥の森、安房自然村などの観光施設が多い。国の重要文化財指定の小網寺(こあみじ)の梵鐘(ぼんしょう)や坂東三十三所観音霊場の第33番札所(結願寺)那古寺の多宝塔、茂名(もな)の十二所神社の例祭で行われる里芋祭(国指定重要無形民俗文化財)、洲崎踊り(国の選択無形民俗文化財)や、洲崎神社の自然林、安房神社の洞窟(どうくつ)遺跡などの県文化財がある。面積110.05平方キロメートル、人口4万5153(2020)。

[山村順次]

『『館山市史』(1971・館山市)』


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