館山市(読み)タテヤマシ

デジタル大辞泉 「館山市」の意味・読み・例文・類語

たてやま‐し【館山市】

館山

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日本歴史地名大系 「館山市」の解説

館山市
たてやまし

面積:一一〇・二〇平方キロ

房総半島の先端南西部に位置する。西は東京湾、南は太平洋に向かい、北は安房郡富浦とみうら町・三芳みよし村、東は同郡丸山まるやま町・千倉ちくら町、南東は同郡白浜しらはま町に接する。市の北半分は平久里へぐり川が形成する平野部を中心とし、これを低丘陵が取囲み、集落は平野部に形成された砂丘と丘陵裾部の谷に点在する。市の南部は大半が山林で、その谷に展開する集落と、丘陵と海に挟まれた小平地の集落とからなる。中央の平野部は館山湾(鏡ヶ浦)に面し、市街地は湾に並行する第二・第三砂丘列上に形成されている。木更津市からの国道一二七号と鴨川市方面からの国道一二八号が第二砂丘列上で合流し、これに並行するようにJR内房線が走る。第一砂丘列から西は大正一二年(一九二三)の大地震で隆起し、第二砂丘列から西は元禄一六年(一七〇三)の大地震の際に隆起した土地である。館山湾にある館山港船形ふなかた港は戦国時代末からの湊として確認されている。平久里川以南の市域はごく一部を除き旧安房郡に属し、以北は旧へい郡に属していた。市名は旧館山町の名称を継承しているが、元来里見氏の居城跡の呼称であったと考えられている。

〔原始〕

市内には多数の縄文遺跡が確認されているが、縄文海進の影響で丘陵部分に偏在している。また標高約二五メートル付近を中心に、六ヵ所の海食洞窟が点在し、そのほとんどで縄文遺跡や古墳時代の洞窟墓などが確認され、海とかかわる生活の様子、海人の存在などが指摘されている。なお市域で採取される黒曜石神津こうづ(東京都)産が多いという分析がある。長須賀ながすかでは弥生時代の水田跡が確認されているが、第三砂丘列より東の平野部には条里の遺構が広域に展開しており、第六砂丘列上には安房国府推定地や国分寺跡がある。平野部東端の九重ここのえ地区や汐入しおいり川上流域、ともえ川流域には、古墳時代の遺跡がとくに濃密に分布することが確認されている。

〔古代・中世〕

安房郡は祭祀集団忌部氏が奉斎する安房神社を中心に、八世紀初頭に神郡に設定されたが、市内は土製模造品使用を特徴とする祭祀遺跡が分布するという特色がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「館山市」の意味・わかりやすい解説

館山〔市〕
たてやま

千葉県南西部,房総半島南端にある市。 1939年館山北条,那古 (なご) ,船形 (ふなかた) の3町が合体して市制。 54年西岬 (にしざき) ,神戸 (かんべ) ,富崎 (とみざき) ,豊房 (とよふさ) ,館野 (たての) ,九重 (ここのえ) の6村を編入。中心市街地館山は 17世紀初頭里見義康が築城,以来幕府の天領となり,のち稲葉氏1万石の城下町および商業の中心地として発展。 1914年木更津線 (現 JR内房線) 開通後,海水浴場避暑,避寒の地となる。北部の那古には那古寺船形には漁港がある。第2次世界大戦中は館山航空隊,洲崎航空隊,館山海軍砲術学校など軍施設がおかれ,戦後は海上自衛隊館山航空隊が設置された。南房総国定公園に属し,旅館,貸別荘,国民休暇村,ゴルフ場などがある。面積 110.05km2。人口 4万5153(2020)。

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