香美(市)(読み)かみ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「香美(市)」の意味・わかりやすい解説

香美(市)
かみ

高知県東部に位置する市。2006年(平成18)、香美郡土佐山田町(とさやまだちょう)、香北町(かほくちょう)、物部村(ものべそん)が合併、市制施行して成立。1000メートルから1800メートルの高峰が連なる四国山地に囲まれ、林野率は約90%である。物部川が市域の中央を南下し、上韮生(かみにろう)川、槇山(まきやま)川など多くの支流が流れ込み、それらの流域棚田や集落が点在する。また南部の物部川、国分(こくぶ)川流域に、高知平野の一部となる香長(かちょう)平野が広がる。JR土讃(どさん)線、国道32号、195号が通じる。

 南西部の香南市境に近い三宝山に石灰洞窟の龍河洞(りゅうがどう)(国指定史跡・天然記念物)がある。内部の弥生中期の遺跡から石灰華に包まれた長頸壺(ながくびつぼ)が発見されている。中世には物部川上流域が槇山郷、韮生郷などとよばれ、戦国時代には物部川西岸の楠目城(くずめじょう)(山田城)に山田氏が拠(よ)った。物部川上流で上韮生川が合流する大栃(おおどち)は両川をさかのぼると阿波に出るという道の分岐点に位置し、山村ではあるが市場町を形成していた。江戸時代初期、土佐藩執政野中兼山(のなかけんざん)によって、物部川が香長平野に出る辺りに巨大な山田堰(せき)が築かれ、用水路が開かれて香長平野の開発が進んだ。用水の一つ舟入川(ふないれがわ)は、物部川上流域の物資を高知城下に輸送するのに利用された。現在の土佐山田町市街地にあたる山田野地町(のじまち)は、舟入川で運ばれた物資の集散地として交易の一中心となった。

 かつては香長平野を中心に米の二期作が盛んであった。物部川中流域の香北町地区は江戸時代から良質米を産し、現在も韮生米として知られる。産業はスギ・ヒノキの用材生産、米作のほかネギ、ニラ、ショウガ、ユズや苗木の栽培も多い。特産の打刃物(うちはもの)は土佐打刃物として伝統的工芸品に指定されている。ほかに、竹細工やフラフ(端午の節句に立てる大旗)がある。北東部の三嶺(さんれい)(1894メートル)、白髪(しらが)山(1770メートル)などの山々や渓谷は、剣山(つるぎさん)国定公園と奥物部県立自然公園域である。また、龍河洞の周辺は県立自然公園。土佐南学を再興した谷重遠(しげとう)(秦山(しんざん))の墓は国の史跡、三嶺・天狗塚(てんぐづか)のミヤマクマザサおよびコメツツジ群落は国の天然記念物となっている。いざなぎ流御祈禱(ごきとう)は国指定重要無形民俗文化財の「土佐の神楽(かぐら)」の一つ。公立大学法人高知工科大学がある。面積537.86平方キロメートル、人口2万6513(2020)。

[編集部]


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