馬鳴(読み)めみょう

精選版 日本国語大辞典 「馬鳴」の意味・読み・例文・類語

めみょう メミャウ【馬鳴】

(Aśvaghoṣa の訳) 一世紀後半から二世紀にかけてのインド仏教詩人。中インドの出身という。はじめバラモン教の論師であったが、仏教に帰依し、カニシカ王の保護を受けて仏教の興隆尽力。知恵・弁舌の才にすぐれ、仏の生涯をうたった叙事詩ブッダチャリタ(仏所行讚)」や、「大荘厳論経」などを残す。「大乗起信論」を著わしたとする伝承には疑問がある。馬鳴菩薩生没年未詳。

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デジタル大辞泉 「馬鳴」の意味・読み・例文・類語

めみょう〔メミヤウ〕【馬鳴】

《〈梵〉Aśvaghoṣaの訳》2世紀ごろのインドの仏教詩人。バラモンの論師から仏教に帰依し、カニシカ王の保護を受けた。技巧的なカービヤ(美文体)文学の先駆となり、叙事詩「ブッダチャリタ(仏所行讃)」などの作品がある。生没年未詳。アシュバゴーシャ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「馬鳴」の意味・わかりやすい解説

馬鳴
めみょう

生没年不詳。100年ころの古代インドの仏教界の巨匠であり、優れた詩人・文学者。アシュバゴーシャAśvaghoaの漢訳名。元来は深い学識をもつバラモンであるが、のち仏教に帰依(きえ)し、カニシカ王の尊崇を受けて仏教の発展、普及に貢献。他方、『ラーマーヤナ』の影響を受け、かつサンスクリット文学の最高峰カーリダーサの先駆者として、技巧的なカービア(美文体)文学発達の礎石となった点において、古典サンスクリット文学史上重要な位置を占める。彼には多数の著作が帰せられているが、確実に真作とされている代表的な作品は、カービア体で仏陀(ぶっだ)(釈迦(しゃか))の生涯を歌った『ブッダチャリタ』(『仏所行讃(ぶっしょぎょうさん)』)、仏陀の異母弟である美貌(びぼう)の青年ナンダ難陀(なんだ))の改宗を描いた『サウンダラ・ナンダ・カービア』、サンスクリット劇の最初の実例とされる『シャーリプトラ・プラカラナ』である。そのほか真偽が不明ではあるが重要な作品に、古来大乗仏教の入門書として広く読まれている『大乗起信論(だいじょうきしんろん)』、四姓制度を否認する『バジュラ・スーチー』(『金剛針論(こんごうしんろん)』)、因縁(いんねん)・比喩(ひゆ)の説話集『大荘厳論経(だいしょうごんろんきょう)』、ガンディー(犍椎(けんつい))の威力をたたえ仏徳を賛嘆する『ガンディー・ストートラ』(『犍椎梵讃(けんついぼんさん)』)などがある。

[前田式子 2016年12月12日]

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改訂新版 世界大百科事典 「馬鳴」の意味・わかりやすい解説

馬鳴 (めみょう)

2世紀ころの仏教詩人。生没年不詳。サンスクリット名アシュバゴーシャAśvaghoṣaの漢訳。中インドのサーケータ(現,アウド)出身。初めは仏教を批難するバラモンであったが,のち,大衆部(だいしゆぶ)系の一学派である多聞部(たもんぶ)に所属する比丘(びく)となった。弁舌をよくする布教家であったので弁才比丘とも呼ばれ,文学,音楽にも通じていた。カニシカ王(在位128-153)の宗教顧問になってからは,王とともに月支国に行き,仏教をひろめ,功徳日(くどくにち)と敬称された。また,のちのグプタ朝において進められた仏典のサンスクリット語化の先駆者として,カービヤ(宮廷詩)調による釈迦の伝記《ブッダチャリタBuddhacarita》(漢訳名《仏所行讃》)を作った。釈迦をたたえる仏教詩人としては,このほかに,《犍稚梵讃(けんちぼんさん)》《大荘厳論経》《サウンダラナンダ》,そして戯曲《シャーリプトラ・プラカラナ》などを書いた。《バジュラスーチ》(漢訳名《金剛針論》)では,バラモンの陋習を笑い,六波羅蜜(ろくはらみつ)の真義を高らかに述べて,讃仏乗(さんぶつじよう)(仏の徳をたたえ仏の救いを期待する教え)の祖とされる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「馬鳴」の意味・わかりやすい解説

馬鳴
めみょう
Aśvaghoṣa

古代インドのサンスクリット仏教詩人。ワーラーナシまたはサーケータで紀元 100年前後に生れたと推定される。バラモンの教養を身につけたが,のち仏教に帰依し,ついに菩薩の称号を得て,馬鳴菩薩と呼ばれた。クシャン王朝のカニシカ王の知遇を得たという。古典サンスクリット文学興隆の先駆者としてインド文学史上重要な地位を占めている。『仏陀の生涯』 Buddhacaritaはその代表作で,『端正なるナンダ』 Saundarānanda-kāvyaとともに叙事詩作品として名高く,また仏教劇『シャーリプトラ・プラカラナ』 Śāriputraprakaraṇaほか2編の断片も中央アジアから発見され,サンスクリット劇最古の作品として注目されている。その伝記については,鳩摩羅什訳『馬鳴菩薩伝』,吉迦夜,曇曜共訳『付法蔵因縁伝』のほか,玄奘の『大唐西域記』などに断片的な記述があるが,史実として系統的に記述されているものはない。作品として,仏陀の崇拝,賛嘆に力を入れてはいるが,部派仏教の教理にはこだわらない自由な仏教詩人としてその面目を発揮した。

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百科事典マイペディア 「馬鳴」の意味・わかりやすい解説

馬鳴【めみょう】

1―2世紀ごろの中インド出身の仏教論師。生没年不詳。サンスクリット名はアシュバゴーシャで,馬鳴はその漢訳。仏教音楽,仏教文学の創始者的存在で,仏陀伝の傑作《ブッダチャリタ》(仏所行讃)を作る。《大乗起信論》の作者とされる馬鳴は後世の別人とみられる。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「馬鳴」の解説

馬鳴(めみよう)

アシュヴァゴーシャ

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世界大百科事典(旧版)内の馬鳴の言及

【インド演劇】より

…またベーダの祭式中に民衆娯楽としての演劇的要素を認めるものもあり,古代におけるクリシュナ神の祭典,あるいは古代の人形芝居や影絵芝居などに演劇の萌芽を探り,さらにギリシア劇の影響によってインド演劇の成立を説くものもあるが,いずれも決定的な結論とは認められない。インド演劇成立の年代に関しては,文典家パタンジャリ(前2世紀)がナタ(俳優)およびシャウビカ(職業的演技者)について述べているし,また中部インドのラームガリ洞窟で発見された古代演技場遺跡とみなされるものもほぼ同時代のものといわれ,さらにアシュバゴーシャ(馬鳴(めみよう),2世紀)の仏教劇断片が中央アジアで発見されたことなどから考え,紀元前にはすでにかなり発達した演劇の形式が整っていたものとみられる。
[サンスクリット劇]
 古典劇の理論ならびに諸規定は複雑で,修辞学書もその理論に触れている。…

【インド文学】より


【中古文学(古典サンスクリット文学)】
 素朴単純なベーダの宗教文学は,中古文学にいたって内容とともに文体,措辞,韻律の方面で著しい発達をとげ,修辞と技巧を主とする繊細華麗な美文体のカービヤ文学時代を現出し,各分野にインド文学の最盛期を画した。中古文学最初の作家は仏教詩人アシュバゴーシャ(馬鳴(めみよう))である。仏伝に取材した《ブッダチャリタ》(漢訳《仏所行賛》)はその代表作で,数世紀にわたる古典文学隆昌の先駆をなしたが,20世紀初めに中央アジアから彼の仏教劇の断片が発見されたことは,古典劇最古の実例を示すものとして文学史上注目に値する。…

【大乗起信論】より

…単に《起信論》ともいう。インドの馬鳴(めみよう)の作,真諦の訳とされるが,中国撰述説を含めて諸説がある。本論は大乗仏教の中心教義を理論と実践の両面から要約したもので,序分,正宗分,流通分で構成される。…

【仏教文学】より

…しかし,仏陀を超人的存在とみなし,多くの説話や比喩を挿入するなど,パーリ語のそれとは趣を異にする。2世紀に出現した仏教詩人アシュバゴーシャ(馬鳴(めみよう))の《ブッダチャリタ(仏所行讃)》は,この傾向をいっそう推し進め,仏伝を一大文学として確立した作品で,高く評価されている。《サウンダラナンダ》《シャーリプトラ・プラカラナ》《大荘厳論経》なども馬鳴の巧みな文学的修辞によって書かれており,インド古典文学の先駆的意義をもつ文学作品として重要である。…

※「馬鳴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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