高槻(読み)たかつき

精選版 日本国語大辞典 「高槻」の意味・読み・例文・類語

たか‐つき【高槻】

[1] 〘名〙 高く茂った槻の木。槻の大木
読本春雨物語(1808)二世の縁「山城の高槻の樹の葉散りはてて」
[2] 大阪府北東部の地名。天正年間(一五七三‐九二高山右近居城があり、江戸時代は永井氏三万六千石の城下町京都市大阪市との中間にあり、古くから開け、古墳が多い。かつては西国街道の宿場町で、現在は東海道本線名神高速道路が通じる。電気機械器具、製薬などの工業が盛んな工業都市。歌人伊勢の草庵跡や能因法師能因塚などがある。昭和一八年(一九四三市制

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デジタル大辞泉 「高槻」の意味・読み・例文・類語

たかつき【高槻】

大阪府北東部の市。もと永井氏の城下町。化学工業などが盛ん。大阪市と京都市との間にあり、住宅地としても発展。人口35.7万(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「高槻」の意味・わかりやすい解説

高槻[市] (たかつき)

大阪府北東部の市。1943年市制。人口35万7359(2010)。京都市と大阪市のほぼ中間点に位置し,市域は北部の老ノ坂山地と南部の淀川芥川沖積低地から構成される。弥生時代の安満(あま)遺跡や古墳,条里制の遺構などが存在し,古代から先進地であった。市街地は旧城下町の高槻,西国街道の宿場町の芥川,中世に蓮如が設けた道場に始まる寺内町の富田(とんだ)からなる。1876年の東海道本線,1928年の新京阪鉄道(現,阪急京都線)などの開通によって市街が発展し,大正末から昭和初期にかけて湯浅電池や紡績工場が国鉄(現JR)駅前に立地して工業化の先鞭をつけた。第2次大戦後,国道171号線沿いに松下電子,サンスター,明治製菓など電気,食品,化学,機械関連の大規模な工場が進出した。これと相前後して住宅団地などの建設も始まり,住宅地化は沖積平野から北部山間地に及んでいる。
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高槻は室町時代以来入江氏の本拠地で,1569年(永禄12)から和田父子・高山父子の城下となり,キリシタン大名高山友祥(ともなが)(右近)の保護で教会,セミナリオも設置された。1585年(天正13)以来豊臣氏やその取立大名領,幕府領,譜代大名領と交替し,1649年(慶安2)永井氏(3万6000石)入部直後までに,城地が拡大され,侍屋敷区・町が近世的に整備された。文禄検地帳での高槻村は湯屋,麴屋,鍛冶屋などもあるが,商工業的発展は近くの在郷町富田に及ばず,1618年(元和4)ようやく4町,その後城の周辺に10町となり完成した。幕府の高槻蔵と小藩の年貢米や領域の市場として若干発展したが,西国街道や淀川舟着場からもはなれた高槻では商工業はさして発展せず,武家を除き農民を含む総人口は1716年(享保1)2448人をピークに以後減少した。惣町は庄屋と2人の総年寄,各町は町年寄が町政を担当した。
高槻藩
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世界大百科事典(旧版)内の高槻の言及

【衛星都市】より

… 日本の場合には,むしろ自然発生的で,既存の集落や都市が母市の都市化の影響を受けて,受動的に変質して衛星都市となった事例がほとんどで,武蔵野,三鷹,豊中,芦屋などのように農村から一挙に都市化が進んだ場合と,松戸,浦和,枚方などのように古くから地方都市として発達していたものが変質した場合とがある。城下町・宿場町起源で人口5万~6万の小工業都市であった高槻が,昭和30年代後半の過度ともいえる住宅地開発にともなって,36万(1989)に人口を急増させ,大阪の住宅衛星都市に変質したのは,典型的な例といえる。また,中には少数例にすぎないが,国立(くにたち)のような学園立地,市原のように工業立地によって衛星都市になった場合もみられる。…

※「高槻」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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