高橋和巳(読み)たかはしかずみ

精選版 日本国語大辞典 「高橋和巳」の意味・読み・例文・類語

たかはし‐かずみ【高橋和巳】

小説家、中国文学者。大阪生まれ。京大中国文学科卒。京大助教授。現代社会における知識人のあり方を追究する長編発表作品「憂鬱なる党派」「悲の器」「邪宗門」など。昭和六~四六年(一九三一‐七一

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デジタル大辞泉 「高橋和巳」の意味・読み・例文・類語

たかはし‐かずみ【高橋和巳】

[1931~1971]小説家・中国文学者。大阪の生まれ。戦後文学影響を受け、知識人のあり方を追求した長編を発表。小説「悲の器」「邪宗門」「散華」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高橋和巳」の意味・わかりやすい解説

高橋和巳
たかはしかずみ
(1931―1971)

小説家。昭和6年8月31日大阪市に生まれる。京都大学中国文学科卒業。少年期の戦争体験をもとに高校時代から埴谷雄高(はにやゆたか)や野間宏(ひろし)など第一次戦後派の小説に傾倒。大学入学後、小松左京らと同人雑誌を刊行し、習作を発表した。1962年(昭和37)1人の刑法学者の破滅を通して人間の根本的悪を描破した『悲(ひ)の器(うつわ)』が河出書房文芸賞第1回長編部門に当選、一躍注目を浴びる。続いて戦時下の精神を追究した『散華(さんげ)』(1963)、ある新興宗教の教団を中心に昭和の精神史を描かんとした『邪宗門』(1965~66)など次々と大作を刊行。評論家としても活躍した。また中国文学者としても有能で、67年には京大文学部助教授となったが、おりからの大学紛争のなかで学生側を支持、やがて心身ともに疲労して辞職した。その際の彼の苦悩は『わが解体』(1969)にみることができる。彼の文学の特色は、否定の精神に基づきながら知識人の運命と責任、その倫理を追究することにあった。結腸癌(がん)のため、昭和46年5月3日没。夫人は小説家の高橋たか子

[紅野謙介]

『『高橋和巳全集』全20巻(1977~80・河出書房新社)』

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百科事典マイペディア 「高橋和巳」の意味・わかりやすい解説

高橋和巳【たかはしかずみ】

小説家。中国文学者。大阪市生れ。京都大学中国文学科卒業。埴谷雄高野間宏の作品に深く影響を受け,大学在籍中は小松左京らと複数の同人誌を発刊した。知識人の存在論的な苦悩をテーマにした《悲の器》で1962年文芸賞に当選,脚光を浴びる。その後も《邪宗門》《散華》など精力的に作品を発表した。1967年より京大助教授となるが,大学闘争の中で全共闘を支持して,1970年辞職。その後,小田実らと季刊雑誌《人間として》を発刊するが,病没。作家高橋たか子〔1932-2013〕は夫人。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高橋和巳」の解説

高橋和巳 たかはし-かずみ

1931-1971 昭和時代後期の小説家。
昭和6年8月31日生まれ。高橋たか子の夫。同人誌「VIKING」に参加,昭和37年「悲の器」で河出書房文芸賞。つづいて「憂鬱なる党派」「邪宗門」などを発表。吉川幸次郎門下の中国文学者としても知られ,42年から京大助教授をつとめたが,学園闘争で学生側にたち45年辞職。昭和46年5月3日死去。39歳。大阪出身。京大卒。
【格言など】個々人が「生涯にわたる阿修羅として」現実社会と闘わなければならない(昭和44年全国教官討論集会での講演)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高橋和巳」の意味・わかりやすい解説

高橋和巳
たかはしかずみ

[生]1931.8.31. 大阪
[没]1971.5.3. 東京
小説家。 1955年京都大学文学部中国文学科卒業。 59年同博士課程修了。『逸脱の論理-埴谷雄高論』 (1961) ,『竹内好論』 (61) を経て長編小説『悲の器 (うつわ) 』 (62) が出世作となった。 67年京大文学部助教授になったが,大学紛争の渦中で 70年職を辞し,『わが解体』に心境を吐露した。ほかに小説『憂鬱なる党派』 (65) ,『邪宗門』 (65~66) ,評論集『孤立無援の思想』 (66) など。

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世界大百科事典(旧版)内の高橋和巳の言及

【原爆文学】より

…第3は,原爆がもたらした悲劇を庶民の日常生活をとおして書き,文学史に残る傑作と称される井伏鱒二の《黒い雨》(1965‐66)のように,被爆者ではないが,広島,長崎と出会った良心的な文学者たちによって,さまざまな視点から広島,長崎,原水爆,核時代がもたらす諸問題と人間とのかかわりを主題とする作品が書かれた。作品に佐多稲子《樹影》(1970‐72),いいだもも《アメリカの英雄》(1965),堀田善衛《審判》(1960‐63),福永武彦《死の島》(1966‐71),井上光晴《地の群れ》(1963),《明日》,高橋和巳《憂鬱なる党派》(1965),小田実《HIROSHIMA》(1981)などがある。なかでも特筆すべきは大江健三郎(1935‐ )の存在で,1963年に広島に行き《ヒロシマ・ノート》(1964‐65)を発表して以来,〈核時代に人間らしく生きることは,核兵器と,それが文明にもたらしている,すべての狂気について,可能なかぎり確実な想像力をそなえて生きることである〉とする核時代の想像力論を唱え,《洪水はわが魂に及び》(1973),《ピンチランナー調書》(1976),《同時代ゲーム》(1979),《“雨の木(レインツリー)”を聴く女たち》(1982)などの作品を書き,国内だけでなく外国でも高く評価された。…

※「高橋和巳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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