20世紀日本人名事典 「高田 保」の解説
高田 保
タカタ タモツ
- 生年
- 明治28(1895)年3月28日
- 没年
- 昭和27(1952)年2月20日
- 出生地
- 茨城県新治郡土浦町(現・土浦市)
- 別名
- 俳号=羊軒
- 学歴〔年〕
- 早稲田大学英文科〔大正6年〕卒
- 経歴
- 大正の初期、浅草オペラ華やかな当時、“ペラゴロ”といわれた青春時代を過ごし、「活動倶楽部」「オペラ評論」の記者となる。古海卓二、根岸寛一らと知り合い、映画に携わる。13年に戯曲「天の岩戸」を雑誌「新小説」に発表、劇作家としてデビュー。昭和4年新築地劇団に参加、プロレタリア劇作家として活躍するが、5年検挙され転向。以後、新国劇、新派など商業演劇の脚色、演出をこなした。その間、2年戯曲集「人魂黄表紙」を刊行。また「水の影」(大14年)「少年諸君」(昭7年)など3本の映画を手がけたが、失敗に終った。戦後の23年12月から東京日日新聞に随筆「ブラリひょうたん」を連載、ウィットとユーモアに富んだ社会風刺で喝采を博した。同じように活躍した大宅壮一が「マクラの阿部真之助、オチの高田」と評したのは有名。27年結核のため死亡。作品は「高田保著作集」(全5巻・創元社)に収録されている。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報