高石市(読み)タカイシシ

デジタル大辞泉 「高石市」の意味・読み・例文・類語

たかいし‐し【高石市】

高石

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「高石市」の解説

高石市
たかいしし

面積:一一・二五平方キロ

堺市の南隣にあり、古くは和泉国大鳥郡の西南端に位置し、「和名抄」同郡くさべ(中世は草部郷とも)・大鳥郷(中心は現堺市)に属していた。西は大阪湾に面し、地形は平坦で東端部がわずかに泉北丘陵に接しており、芦田あしだ川・いま川・王子おうじ川が西流して大阪湾に注いでいる。市域の西端部をかつての紀州街道(現府道堺―阪南線)が南下し、その東に並行して南海電鉄本線が走り、東端部をかすめる旧熊野街道(小栗街道)の西を国鉄阪和線が走る。市名は古代以来の高石たかし(高脚・高師)の地名によるが、近世以降はほぼ「タカイシ」とよんだ。

〔原始・古代〕

市南東部に広がる大園おおぞの遺跡は、先土器時代から近世に及ぶ複合遺跡。南海電鉄高師浜たかしのはま伽羅橋きやらばし駅近くの伽羅橋東きやらばしひがし遺跡からは弥生時代のイイダコ壺・土錘・製塩土器が検出され、漁業や製塩業が盛んな漁村的遺跡として注目されている。西取石にしとりいし三丁目にあった前方後円墳富木車塚とのきくるまづか古墳には七つの埋葬施設があり、一一名の埋葬者があったことで注目される。後期古墳に属するがそれでもごく初期のものであるところから、六世紀前半の有力豪族の家族墓と推定され、「続日本紀」などにみえる殿来連の可能性もある。

高石の初見は「日本書紀」垂仁天皇三五年九月条で、五十瓊敷命が高石池を築造したとあるが、高石池の所在は明らかでない。また「万葉集」に詠まれた取石とろし池は、市域南東にあった鳥石とろす池のことと考えられ、この地域で灌漑用水池築造による開発が進んでいたことを示唆している。持統天皇三年(六八九)以前から高脚たかし海は禁漁区に指定されていたといい、神亀元年(七二四)一〇月には聖武天皇が紀伊国からの帰途、所石とろし頓宮に立寄っている。所石頓宮は熊野街道沿いの鳥石池近辺に営まれていたと推定され、高石地域は大和朝廷から特殊な支配を受けていたとみられる。高脚の浜に漂着した霊木で仏像を造ったという古い仏教説話は、仏教信仰がこの地方に早くから伝えられ定着していたことをうかがわせる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高石市」の意味・わかりやすい解説

高石〔市〕
たかいし

大阪府南西部,大阪湾に臨む市。 1953年高石町と取石村が合体し,1966年市制施行。堺市の南西に位置する。堺市西区の浜寺から続く白砂青松の海岸は,古くから高師浜として詩歌に詠まれ,羽衣付近は臨海高級住宅地として開発された景勝地であったが,1961年以来,泉北臨海工業埋立地の造成に伴い,石油コンビナートが進出,景勝地の面影は薄れ,近代工業都市となった。在来の紡績・織物工業も行なわれる。 JR阪和線,南海電気鉄道本線および高師浜線が通じ,南部を阪和自動車道から分岐する堺泉北道路が通り,国道 26号線および阪神高速4号湾岸線に接続する。面積 11.30km2。人口 5万5635(2020)。

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