高階経仲(読み)たかしなのつねなか

朝日日本歴史人物事典 「高階経仲」の解説

高階経仲

没年嘉禄2.2(1226)
生年:保元2(1157)
平安末・鎌倉初期の公卿で院の近臣高階泰経の子。母は藤原行広の娘。本名業仲。仁安3(1168)年蔵人となり,石見守,常陸介,右衛門佐を歴任。従四位上・右馬頭となるが,文治1(1185)年12月源義経と行家の謀反に加担して頼朝の怒りを買い,父泰経と共に解官された。のちに許されて播磨守,内蔵頭となり,父と共に後白河法皇に近侍して,院庁の別当を務める。法皇の没後は後鳥羽上皇側近に仕えて院別当となり,常に院御所に祗候した。元久1(1204)年に正三位に叙せられ,建保4(1216)年2月に出家した。

(土谷恵)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高階経仲」の解説

高階経仲 たかしなの-つねなか

1157-1226 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
保元(ほうげん)2年生まれ。高階泰経の長男。石見守(いわみのかみ),常陸介(ひたちのすけ),右馬頭(うまのかみ)を歴任。文治(ぶんじ)元年父が源義経の味方をしたとの嫌疑をうけ,父とともに解任された。のちゆるされて内蔵頭(くらのかみ)となり,正三位。嘉禄(かろく)2年2月死去。70歳。名ははじめ業仲。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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