鴨島(読み)かもじま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鴨島」の意味・わかりやすい解説

鴨島
かもじま

徳島県中北部、麻植郡(おえぐん)にあった旧町名(鴨島町(ちょう))。現在は吉野川市(よしのがわし)の東部を占める一地区。1908年(明治41)町制施行。1954年(昭和29)牛島(うしのしま)、西尾森山の3村と合併。2004年(平成16)川島(かわしま)町、山川(やまかわ)町、美郷(みさと)村と合併、市制施行して吉野川市となる。旧町域は、吉野川中流南岸に位置し、同川に並行して自然堤防列が発達し、市街地が立地する。鴨島町鴨島に吉野川市役所がある。JR徳島線、国道192号(伊予街道)が吉野川に沿って走り、国道318号が阿波(あわ)中央橋を渡って吉野川北岸に通じるが、1954年にこの橋が架設されるまでは、大水があると北岸への交通は途絶したという。1912年に麻名(あさな)用水が完成して水田化が進み、さらに1968年から国営麻植開拓パイロット事業が進められた。徳島藩時代からのアイ栽培による藍(あい)作は養蚕に転換し、製糸工場も立地した。県の農業研究所、日帰り温泉の鴨島温泉などがある。知恵島(ちえじま)地内にわく江川の水(えがわのみず)は夏10℃前後、冬20℃前後の異常水温を示し、県の天然記念物に指定されている。藤井寺は四国八十八か所第11番札所で、木造釈迦如来(しゃかにょらい)坐像が国の重要文化財に指定されている。

[高木秀樹]

『『鴨島町誌』(1964・鴨島町)』

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日本歴史地名大系 「鴨島」の解説

鴨島
かもしま

現在海面に出てはいないが、島があったらしいという痕跡が海面下八メートルにあって大きな暗礁となり、鴨島瀬・人丸ひとまる瀬・おお瀬とよばれる。この鴨島が柿本人麻呂の終焉地であると長い間伝承されてきた。昭和五二年(一九七七)梅原猛は「水底の歌」を発表した余勢を駆って、この大瀬を調査した。水深五メートルから一三メートル、東西三〇〇メートル・南北四〇〇メートルの一枚岩でできており、この大瀬だけが周囲とはまるで違った形だという。南側の平坦地に柱石・礎石、三本の線の入った石碑台石のような遺物、人工的な五角石・四角石の奇石などが見られる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鴨島」の意味・わかりやすい解説

鴨島
かもじま

徳島県北東部,吉野川下流の南岸にある地区。旧町名。 1954年鴨島町 (1908年町制) ,牛島 (うしのしま) 村,森山村,西尾村が合体して発足。 1955年東山村の一部,1957年柿島 (かきしま) 村の一部を編入。 2004年 10月,川島町,山川町,美郷村と合併し,吉野川市となる。 JR徳島線に沿う中心地区の鴨島は,徳島市以西の商業の中心地で,吉野川沿いの自然堤防上にある。江戸時代にはアイ栽培が盛んであったが,大正期以来養蚕,製糸の中心地となり,県の蚕糸試験場が置かれた。古刹が多く,藤井寺は四国八十八ヵ所の第 11番札所で,四国最古の仏像 (釈迦如来坐像,重要文化財) がある。四季を通じて行楽地である江川は異常水温 (夏は 10℃前後,冬は 20℃前後) 現象がみられる。

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改訂新版 世界大百科事典 「鴨島」の意味・わかりやすい解説

鴨島 (かもじま)

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