鶴沢寛治(7世)(読み)つるざわかんじ[ななせい]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鶴沢寛治(7世)」の意味・わかりやすい解説

鶴沢寛治(7世)
つるざわかんじ[ななせい]

[生]1928.9.27. 京都,京都
[没]2018.9.5. 奈良,生駒
義太夫節三味線方。本名白井康夫。6歳で地唄と琴,13歳で義太夫三味線の手ほどきを受ける。1943年父 3世鶴沢寛治郞(のちの 6世鶴沢寛治)に入門して鶴沢寛子(つるざわかんこ)を名のり,同 1943年10月四ツ橋文楽座(→文楽座)で初舞台。1944年鶴沢寛弘(つるざわかんこう)と改名する。1949年に文楽が二派に分裂した当初は三和会(みつわかい)に所属したが,翌 1950年に因会(ちなみかい)に復帰,父のもとで修業にいそしんだ。1956年に 8世竹沢団六を襲名。1963年の文楽協会設立後は,次代を担う存在と目されたが,特定の太夫との相三味線契約は結ばなかった。おおらかな余韻のある美音が最大の特徴で,戦前の修業を経験した最後の世代であり,父譲りの彦六座系の奏法を伝える貴重な存在であった。1994年に最高位である三味線格となり,1997年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。2001年由緒ある名跡鶴沢寛治の 7世を襲名。1999年勲四等旭日小綬章を受章。2002年大阪芸術賞受賞など,数多くの賞に輝く。(→浄瑠璃人形浄瑠璃

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android