鶴沢清七(初代)(読み)つるざわ・せいしち

朝日日本歴史人物事典 「鶴沢清七(初代)」の解説

鶴沢清七(初代)

没年:文政9.7.22(1826.8.25)
生年:寛延1(1748)
江戸中・後期に活躍した義太夫節三味線弾き。初代文蔵の門弟通称松屋。天明2(1782)年に清二郎から清七に改名寛政1(1789)年に三味線筆頭になり文化9(1812)年ごろまで活躍していた。引退後は3代目友次郎を名乗った。安永ごろから朱と呼ばれる記譜法改良工夫を重ね,平仮名48字などにより三味線の勘所を示す現行朱章の基を確立した。<参考文献>『義太夫年表/近世篇1,2』,4代目竹本長門太夫著・木谷蓬吟校訂『浄瑠璃大系図』(音曲叢書6巻),井野辺潔『浄瑠璃史考説』

(鎌倉惠子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鶴沢清七(初代)」の解説

鶴沢清七(初代) つるざわ-せいしち

1748-1826 江戸時代中期-後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方
寛延元年生まれ。大坂の人。義太夫節。初代鶴沢文蔵(2代鶴沢友次郎)の門下。天明2年鶴沢清七を名のる。引退後,3代鶴沢友次郎を襲名。俗に朱(しゅ)とよばれる三味線の記譜法を考案した。文政9年7月22日死去。79歳。初名は鶴沢清二郎。通称は松屋清七。

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