朝日日本歴史人物事典 「鶴沢清七(初代)」の解説
鶴沢清七(初代)
生年:寛延1(1748)
江戸中・後期に活躍した義太夫節三味線弾き。初代文蔵の門弟。通称松屋。天明2(1782)年に清二郎から清七に改名。寛政1(1789)年に三味線筆頭になり文化9(1812)年ごろまで活躍していた。引退後は3代目友次郎を名乗った。安永ごろから朱と呼ばれる記譜法の改良に工夫を重ね,平仮名48字などにより三味線の勘所を示す現行の朱章の基を確立した。<参考文献>『義太夫年表/近世篇1,2』,4代目竹本長門太夫著・木谷蓬吟校訂『浄瑠璃大系図』(音曲叢書6巻),井野辺潔『浄瑠璃史考説』
(鎌倉惠子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報