鹿島市(読み)カシマシ

デジタル大辞泉 「鹿島市」の意味・読み・例文・類語

かしま‐し【鹿島市】

鹿島

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日本歴史地名大系 「鹿島市」の解説

鹿島市
かしまし

面積:一一〇・九七平方キロ

県の南西部に位置し藤津郡を南北に二分する形をなす。多良たら岳の東北山麓に中川・鹿島川・石木津いしきづ川・はま川等が造成した扇状地が開け、有明海に延びている。この扇状地を中心に開発されたのが鹿島平野であり、鹿島市の主要部を占める。集落は、多良岳から延びる小河川の流域・鹿島平野・有明海沿岸に展開している。

鹿島の名は「延喜式」兵部省諸国馬牛牧に「肥前国 鹿嶋馬牧」とある。

〔原始〕

縄文時代の石器が浅浦あさうら高津原たかつばる城内じようない納富分のうどみぶん筒口つつぐち久保山くぼやま鮒越ふなごえ諸干もろぼし本城ほんじよう矢答やごたえ番在ばんざい山浦やまうら平仁田ひらにたなどの地から発見されているが、そのほとんどは偶発的な表面採集であって遺跡の性格は明らかでない。ただ、大字音成おとなりの標高三〇〇メートルの位置にある儀助平ぎすけびら洞穴からは、縄文時代前期に編年される条痕文や押型文などの土器が出土していて、多良岳山麓の一部にはすでに数千年前から人々が居住していたことが明らかになっている。また、鹿島市立西部中学校敷地の納富分遺跡からは縄文時代後期に属する御領系土器および種々の石器も出土し、人々が多良岳の山麓から扇状地まで住居を移してきたと考えられる。

弥生時代になると、鹿島川・中川・浜川や七浦ななうら海岸等の扇状地帯に遺物の分布がみられ、とくに中川の下流域の納富分・行成ゆきなり馬渡もうたい横田よこた末光すえみつなどとよばれる中川が造成した扇状地一帯が、弥生時代における鹿島地方の中心地であったと考えられる。扇状地帯からは縄文時代の遺物も出土し、縄文と弥生との複合遺跡となっている。西塩屋にししおやでは貝塚が発見されており、ここに居住していた弥生時代人は、有明海の魚介類をとって生活していた漁労民ではなかったかと考えられる。当地区から発見されている弥生時代の石器には、磨製蛤刃石斧・打製石鏃・打製石槍・凹石・磨製石包丁などが知られているが、鹿島小学校校庭からは独鈷石も出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鹿島市」の意味・わかりやすい解説

鹿島〔市〕
かしま

佐賀県南部,多良岳北斜面から有明海にのぞむ市。 1954年鹿島,浜の2町と能古見,鹿島,古枝の3村が合体して市制。 55年七浦村の一部を編入。中心市街地の鹿島は江戸時代,肥前藩の支藩鹿島藩の城下町であった。陣屋跡は旭ヶ岡公園となり桜の名所。水産加工,酒造,機械,薬品 (家庭薬) ,陶器,衣料の工場がある。周辺ではノリ,茶,ミカンなどの産がある。市街地の南にある祐徳稲荷は,伏見稲荷豊川稲荷とともに日本三大稲荷の1つで参拝客が多い。この地方独特の舞伎である郷土芸能の面浮立 (めんぶりゅう) を伝える。展望雄大な経ヶ岳や奇勝の能古見峡があり,多良岳県立自然公園に属する。海岸沿いを JR長崎本線,国道 207号線が走り,国道 444号線が能古見峡や平谷温泉に通じる。面積 112.12km2。人口 2万7892(2020)。

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