黒岩涙香(読み)くろいわるいこう

精選版 日本国語大辞典 「黒岩涙香」の意味・読み・例文・類語

くろいわ‐るいこう【黒岩涙香】

ジャーナリスト、翻訳家。本名周六。高知県出身。「万(よろず)朝報」を創刊、主筆となる。創作味を加えた翻訳小説を紙上に連載し、発行部数を激増させた。翻訳小説「巖窟王(がんくつおう)=モンテクリスト伯」「噫(ああ)無情=レ‐ミゼラブル」、論文「天人論」「人生問題」など。文久二~大正九年(一八六二‐一九二〇

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デジタル大辞泉 「黒岩涙香」の意味・読み・例文・類語

くろいわ‐るいこう〔くろいはルイカウ〕【黒岩涙香】

[1862~1920]ジャーナリスト・翻訳家。高知の生まれ。名は周六。「万朝報よろずちょうほう」を創刊、主筆。「法廷の美人」「鉄仮面」「巌窟王がんくつおう」「ああ無情」などの翻訳・翻案に当たった。

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百科事典マイペディア 「黒岩涙香」の意味・わかりやすい解説

黒岩涙香【くろいわるいこう】

ジャーナリスト,翻訳家,評論家。本名周六。土佐生れ。慶応義塾中退。西洋の探偵小説などの翻案により名をあげ,1892年《万(よろず)朝報》を創刊。政界のスキャンダルを容赦なく暴露する記事や涙香の翻案小説によって購読者を急増させた。翻案小説には,《鉄仮面》《巌窟王》《噫無情》などがある。評論集に《天人論》など。また連珠の普及にも努めた。日露戦争に際して,それまで非戦論を唱えていた涙香が,時局の進展にともない開戦論に転じ,そのため,社員内村鑑三幸徳秋水堺利彦らが連袂(れんべい)退社したことは有名。
→関連項目推理小説平民新聞都新聞都の花モンテ・クリスト伯レ・ミゼラブル連珠

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朝日日本歴史人物事典 「黒岩涙香」の解説

黒岩涙香

没年:大正9.10.6(1920)
生年:文久2.9.29(1862.11.20)
明治大正期の新聞記者,探偵小説作家。本名は周六。涙香という号は主に探偵小説で用い,新聞では民鉄,黒岩大などと称した。土佐(高知県)の郷士,黒岩市郎と信子の次男に生まれる。幼少時,漢学を学び,のちに上京。慶応義塾などいくつかの学校に入学したが,正規に卒業はしていない。折からの自由民権運動に参加し,明治15(1882)年には北海道開拓使官有物払い下げ問題に関する論文が官吏侮辱罪に問われ有罪の判決を受けた。19年,小新聞『絵入自由新聞』の主筆となり,論文や探偵小説を掲載,次第に筆名を高める。22年『都新聞』に移り,多数の小説を連載し評判を得る。25年,『都新聞』社長と対立して退社し,同年『万朝報』を創刊した。同紙は,「鉄仮面」「噫無情」などの黒岩の連載小説上流階級の腐敗を暴露した「畜妾調」などのセンセーショナルなスキャンダル記事によって都市中下層民の人気を博し,一躍東京第一の発行部数(明治32年の発行部数9万5000部)を得るまでになった。 33年ころから,内村鑑三,幸徳秋水,堺利彦らの進歩的思想家を入社させ,青年学生層を読者として開拓する方針に転じ,34年には,理想団と称する団体を組織し,社会改良運動を起こそうとした。しかし,日露戦争をめぐって対立し,黒岩が開戦論に踏み切ったことから,非戦論の内村らは退社した。明治末期,『万朝報』は次第に他紙との営業競争に後れをとるようになったが,大正初期の憲政擁護運動シーメンス事件では最も急進的立場に立ち,民衆運動を組織化するとともに新聞キャンペーンをリードした。しかし,黒岩が第2次大隈内閣に接近したころから『万朝報』の声望は低下し,黒岩も新聞経営への意欲を衰弱させていった。黒岩は新聞記者としても探偵小説作家としても読者の意識を鋭敏にとらえる独特の才覚をもっていた。<著作>『明治文学全集47』<参考文献>涙香会編『黒岩涙香』

(有山輝雄)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒岩涙香」の意味・わかりやすい解説

黒岩涙香
くろいわるいこう
(1862―1920)

翻訳家、評論家。本名周六。文久(ぶんきゅう)2年9月29日高知に生まれる。17歳で上京、慶応義塾中退後、『改進新聞』『絵入自由新聞』『都新聞』などの記者生活を経て、1892年(明治25)『萬朝報(よろずちょうほう)』を創刊。その間に欧米の探偵小説の翻訳を試み、『法廷の美人』(1888)、『人耶鬼耶(ひとかおにか)』(1887~88)で世評を得、広く知られるに至った。『萬朝報』紙上では、論説に社会の不正悪徳を糾弾するかたわら、『鉄仮面』(ボアゴベイ作。1892~93)、『幽霊塔』(ベンジスン夫人作。1899~1900)、『巌窟王(がんくつおう)』(デュマ作。1901~02)、『噫無情(ああむじょう)』(ユゴー作。1902~03)などを訳出、達意の文章と流麗な自由訳とでロマンスの魅力を世に伝えた功績は大きい。さらにSF、未来記にも関心をもち、『暗黒星』(ニューコム作。1904)、『八十万年後の社会』(H・G・ウェルズ作。1913)などの訳があるのも注目される。また社会救済を目ざす「理想団」(1901)をおこしたことがあり、評論に『天人論』(1903)などがあるほか、五目並べを組織化して「連珠(聯珠)(れんじゅ)」と命名、『聯珠真理』(1906)を刊行したりしている。大正9年10月6日没。

[遠藤 祐]

『『明治文学全集47 黒岩涙香他集』(1971・筑摩書房)』『伊藤秀雄著『黒岩涙香伝』(1975・国文社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「黒岩涙香」の意味・わかりやすい解説

黒岩涙香 (くろいわるいこう)
生没年:1862-1920(文久2-大正9)

ジャーナリスト。本名は周六,涙香は号。高知県安芸郡川北村生れ。父は郷士で寺子屋の師匠。大阪英語学校を経て東京の成立学舎と慶応義塾に学ぶ。北海道開拓使長官黒田清隆の官有物払下げを攻撃した記事を執筆した理由で1883年投獄されて労役に服す。西洋小説の翻案で名をあげ,92年《万朝報(よろずちようほう)》を創刊。他紙が1銭5厘のところを1銭とし,特定政党や企業の世話にならず,広く売れることによって独立の報道をなしうる大衆新聞を作った。支配層のスキャンダルの暴露と趣味娯楽記事の重視をとおして,日清戦争のころには発行部数5万に達し,第2位の《東京朝日新聞》の2万5000を大きく引き離した。

 涙香の翻案は原作小説を読み終えたあとは原本を見ずに筆をすすめる方式をとった。登場人物は日本風の名にかえられ当時の読者の暮しの中で呼吸した。89年の《法廷の美人》(コンウェー原作)に始まり《鉄仮面》(ボアゴベ),《巌窟王》(デュマ),《噫無情(ああむじよう)》(ユゴー)など。彼自身の創作として日本最初の推理小説《無惨》(1889),SF小説《今の世の奇跡》(1918),評論《天人論》(1903),《小野小町論》(1913)。内村鑑三らの影響をうけて〈理想団〉という結社による社会改革をおこしたが,日露戦争で自身が主戦論に転じたため,内村,幸徳秋水,堺利彦,石川三四郎が《万朝報》から離れた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黒岩涙香」の意味・わかりやすい解説

黒岩涙香
くろいわるいこう

[生]文久2(1862).9.29. 土佐
[没]1920.10.6. 東京
ジャーナリスト,探偵小説家。本名は周六。早くから同郷の板垣退助馬場辰猪らの影響を受けて自由民権運動に身を投じた。 1883年に『同盟改進新聞』の主筆となったのを手始めに,『日本たいむす』『絵入自由新聞』『都新聞』 (『今日新聞』の改題) の主筆を歴任。 1892年『万朝報 (よろずちょうほう) 』を創刊し,得意の探偵小説や翻訳小説『鉄仮面』『巌窟王』『噫無情』を連載,さらに上流社会のスキャンダルを赤色の紙に印刷し,「マムシの周六」と呼ばれ,「赤新聞」の名を残した。日清戦争後,『万朝報』の質的向上に努力し,作家の斎藤緑雨や東洋史家の内藤湖南,宗教家の内村鑑三ら,それに田岡嶺雲,堺利彦,幸徳秋水,石川三四郎などの社会主義者を社員に迎えた。しかし日露戦争に際し,初め非戦論であった涙香が開戦論に転向したため,非戦論の内村,堺,幸徳らは退社した。涙香は新聞社の経営のかたわら,1902年に思想結社「理想団」を結成して社会浄化運動を行なった。また子供の遊びであった五目ならべを「聯珠」 (れんじゅ) と名づけて高度のゲームにし,みずから初代名人高木互楽と称したりした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒岩涙香」の解説

黒岩涙香 くろいわ-るいこう

1862-1920 明治-大正時代の小説家,新聞記者。
文久2年9月29日生まれ。「都新聞」主筆などをつとめながら翻案探偵小説を執筆。明治25年大衆新聞「万朝報(よろずちょうほう)」を創刊,社会悪を糾弾(きゅうだん)する姿勢と,暴露記事,涙香の連載小説で部数をのばした。大正9年10月6日死去。59歳。土佐(高知県)出身。慶応義塾中退。本名は周六。別号に古慨。翻案小説に「鉄仮面」「巌窟王」など。
【格言など】(この頃の新聞は)売色遊女のごとく,みな内々に間夫(まぶ)を有し,その機関となれり(「万朝報」発刊の辞)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「黒岩涙香」の解説

黒岩涙香
くろいわるいこう

1862.9.29~1920.10.6

明治・大正期の新聞記者・小説家。土佐国生れ。本名周六。1878年(明治11)大阪英語学校に入学,翌年上京。82年「同盟改進新聞」に参加後,「絵入自由新聞」「都新聞」などの主筆となり,92年「万(よろず)朝報」を創刊。人気を呼んだ「鉄仮面」などの翻案小説を連載したほか,社会派的な暴露記事を得意とし,蝮(まむし)の周六と恐れられた。大正期には大隈内閣を支持して不評を買った。

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旺文社日本史事典 三訂版 「黒岩涙香」の解説

黒岩涙香
くろいわるいこう

1862〜1920
明治・大正時代の新聞記者・翻訳家
本名は周六。土佐(高知県)の生まれ。翻訳小説『巌窟王』『噫 (ああ) 無情』で人気を博し,1892年『万朝報』を創刊。日露戦争直前に非戦論から主戦論に転じ,のち護憲運動やシーメンス事件に活躍した。

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世界大百科事典(旧版)内の黒岩涙香の言及

【赤新聞】より

…明治20年代の後半に東京の商業新聞がはげしい販売競争を演じたとき,つやだねや暴露記事で売行きの増大をはかった新聞を赤新聞といった。1892年黒岩涙香の創刊した《万朝報》が〈娯楽的毒舌新聞〉(正岡芸陽の言葉)として売り出したのがその最初で,同紙が淡紅色の用紙だったことからこの名が生まれたともいう。昭和の初め《読売新聞》が正力松太郎新社長のもとで部数を増していったころにも,新聞界の一部にこれと似たセンセーショナリズムの傾向が見られた。…

【かるた会(歌留多会)】より

…明治に入ってから1対1の競技かるたが生まれ,研究団体,競技団体がつくられて各地で練習会を開催,選手は自分たちの技量を他流試合に求めはじめた。これに着目した黒岩涙香は,かるた早取法を考案し,東京かるた会を設立,会長となった。彼は従来の変体仮名の札を総平がなに改めた〈標準かるた〉を考案,この札で1904年2月11日万朝報新聞社の主催で第1回競技かるた大会を開催した。…

【ジャーナリズム】より

…《日本人》は高島炭鉱の坑夫の労働条件の過酷さを訴えて,いわゆるルポルタージュの先駆となり,《日本》は正岡子規の俳句再興の舞台となって国民的なひろがりをもつ短詩型文芸慣習を定位するなど,日本の近代文学に貢献した。また黒岩涙香の《万朝報》や秋山定輔の《二六新報》は,それぞれに政・財界人のめかけ囲いを暴露したり,民営タバコのもうけがしらの私行をあばいたり,吉原の娼妓を解放したりなどしてセンセーショナルな紙面構成をはかり,廉価なこととあいまって大衆的な新聞となった。とくに《万朝報》の用紙がうす桃色だったこともあって赤新聞とさげすまれたが,これは既成体制の選良層が放ったものであった。…

【推理小説】より

…概してフランスの推理小説はなぞ解きパズルよりは,人間心理や物語性,社会・風俗に重点を置いている。
[歴史――日本]
 明治時代の黒岩涙香などの翻訳・翻案によってイギリス,アメリカ,フランスの探偵小説(と当時は呼ばれていた)が日本に紹介されたが,創作の優れた作品といえば,大正期の谷崎潤一郎《途上》(1920),芥川竜之介《藪の中》(1922),佐藤春夫《女誡扇綺譚》(1925)などを待たねばならない。これらの作家はもちろん推理小説的作品だけを書いたわけではないが,後に日本最初の推理小説作家と呼ばれた江戸川乱歩,横溝正史(1902‐81)らは,上記の作品によって大きな刺激を受け,とくに怪奇,幻想の特色を受け継いだのであった。…

【ユゴー】より

…また自由民権の運動家たちから,文筆と政治活動をとおして社会の自由を守る偉大な人物として評価され,さらに雑誌《国民之友》では,作家としての天才的な力量を称賛された。1902年(明治35)に黒岩涙香が《レ・ミゼラブル》を翻案し,《噫無情(ああむじよう)》と題して出版したが,以後ユゴーは主としてこの作品の著者としてだけ知られてきたきらいがある。【辻 昶】【稲垣 直樹】 ユゴーは優れたデッサン家でもあった。…

【万朝報】より

…1892年11月,黒岩涙香(周六)によって創刊された新聞。93年に山田藤吉郎の経営していた《絵入自由新聞》(1882年9月創刊)と合併し,以後は黒岩が編集を,山田が経営実務を担当した。…

【レ・ミゼラブル】より

…各国語に翻訳され,世界文学の古典として愛読されてきた。日本でも,1902‐03年に黒岩涙香が《噫無情(ああむじよう)》と題して翻案し大好評を博して以来,広く読者に読み継がれている。明治時代には,社会改革の理想を追求した作品として衆人の関心を集め,以後も何度となく邦訳されている。…

【連珠】より

…中国,漢から六朝(りくちよう)時代に行われた美文体の宮廷文学の一種。諸物にちなむ美辞麗句を,真珠を連ねるように重ね,その間に風刺の意を含ませたもの。多く4句を重ねる形,あるいは四六駢儷(べんれい)の形をとり,短い凝縮した句を多次元的に重ねて,美しく朗誦できるようにくふうする。漢の揚雄に始まるとされ,〈〉の応用形態であるが,完全に残る作例は,《文選》に載せる晋の陸機の〈演連珠〉50首のみ。《芸文類聚(げいもんるいじゆう)》巻57連珠に,漢から梁までの連珠作品の一部分を収録している。…

※「黒岩涙香」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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