(読み)みなみ

精選版 日本国語大辞典 「南」の意味・読み・例文・類語

みなみ【南】

[1] 〘名〙
① 方角の名。日の出る方に向かって右の方向。十二支では午(うま)の方角に当たる。北に対する。みんなみ。
※蜻蛉(974頃)上「君がこのまちのみなみにとみにおそき春にはいまぞたずねまいれる」
② 「みなみかぜ(南風)①」の略。《季・夏》
※万葉(8C後)一八・四一〇六「南(みなみ)吹き 雪消はふりて 射水川 流る水沫の 寄るへ無み」
[2]
[一] 大阪の南新地のこと。道頓堀の北側の島之内(現在、宗右衛門町)・新屋敷、南側の坂町・難波新地を称し、島之内を限定してさす場合もある。
[二] (ミナミ) 大阪市中央区・浪速区にまたがる盛り場千日前・道頓堀・心斎橋筋・戎橋筋・難波新地一帯の総称。百貨店・劇場・映画館・飲食店などが多い。
[三] 江戸城の南にある品川の遊里を、北の新吉原に対していう。
[四] 札幌市の行政区の一つ。昭和四七年(一九七二)発足。定山渓温泉などがある。
[五] さいたま市の行政区の一つ。旧浦和市の南部にあたる住宅地域。平成一五年(二〇〇三)成立。
[六] 横浜市の行政区の一つ。中区の南隣にある。昭和一九年(一九四四)中区から分離して成立。同四四年港南区を分区。
[七] 名古屋市の行政区の一つ。市の南部にある。明治四一年(一九〇八)発足。
[八] 京都市の行政区の一つ。市の南西部を占める。昭和三〇年(一九五五下京区から分離新設。
[九] 広島市の行政区の一つ。市の南東部にある。昭和五五年(一九八〇)成立。
[十] 福岡市の行政区の一つ。市の南部にある。昭和四七年(一九七二)発足。

みんなみ【南】

[1] 〘名〙 (「みなみ(南)」に撥音「ん」のはいってできたもの) 南の方角。
※春曙抄本枕(10C終)四六「南(ミンナミ)の遣戸(やりど)の傍に、几帳の手のさし出でたるに障りて」
[2] (江戸の南方にあったところから) 品川の遊里をいう。
※雑俳・川傍柳(1780‐83)五「三秋にわたる物みんなみの月」

なん【南】

〘名〙
① みなみ。南方。
② 「なんりょう(南鐐)③」の略。
※雑俳・柳多留‐五七(1811)「南(なン)のくめんをやっとして北へ行き」

みなみ‐・する【南】

〘自サ変〙 みなみ・す 〘自サ変〙 南に向かって行く。
※俳諧・井華集(1789)「紅楓深しみなみし西す水の隅」

みなみ【南】

姓氏の一つ。

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デジタル大辞泉 「南」の意味・読み・例文・類語

なん【南】[漢字項目]

[音]ナン(呉) (慣) [訓]みなみ
学習漢字]2年
〈ナン〉方角の一。みなみ。「南下南極南端南部南方南北南洋以南江南指南西南東南
〈ナ〉
みなみ。「南殿
梵語の音訳字。「南無
〈みなみ〉「南風みなみかぜ真南
[名のり]あけ・みな・よし
[難読]南瓜カボチャ南風はえ

みなみ【南】

太陽の出る方に向かって右の方角。みんなみ。「に向いた部屋」⇔
南風。はえ。 夏》「耳もとに波のわきたつ―かな/万太郎
[類語]西

みなみ【南】[浜松市の旧区名]

浜松市の旧区名。令和6年(2024)に区の一部・区・区・西区と統合され中央区となった。

みなみ【南】[大阪の繁華街]

《多く「ミナミ」と書く》大阪市の商業中心地の一。南船場島之内道頓堀難波新地なんばしんち千日前などを含む地域。もと区名で、平成元年(1989)東区と合併して中央区となった。→

みなみ【南】[江戸城の南]

江戸城の南の、品川遊里の俗称。→西

みなみ【南】[札幌市の区]

札幌市の区名。藻岩山定山渓じょうざんけい温泉などがある。

みんなみ【南】

みなみ」の撥音添加。
「―の遣戸のそばに」〈春曙抄本枕・四六〉

みなみ【南】[岡山市の区]

岡山市の区名。児島湾の干拓が行われた地域で、農業がさかん。

みなみ【南】[京都市の区]

京都市の区名。下京区の南に位置し、東寺がある。工業地。

みなみ【南】[相模原市の区]

相模原市の区名。相模女子大学がある。

みなみ【南】[堺市の区]

堺市の区名。泉北せんぼくニュータウンがある。

みなみ【南】[福岡市の区]

福岡市の区名。住宅地。昭和57年(1982)一部を中央区に編入。

みなみ【南】[さいたま市の区]

さいたま市の区名。京浜東北線・埼京線・武蔵野線が通じる住宅地。

みなみ【南】[熊本市の区]

熊本市の区名。白川と緑川による三角州が形成された低地帯

みなみ【南】[新潟市の区]

新潟市の区名。旧白根市・旧味方村・旧月潟村域を占める。

みなみ【南】[名古屋市の区]

名古屋市の区名。西部は工業地。

みなみ【南】[広島市の区]

広島市の区名。広島港に臨む。

みなみ【南】[横浜市の区]

横浜市の区名。住宅地。

な【南】[漢字項目]

なん

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改訂新版 世界大百科事典 「南」の意味・わかりやすい解説

南 (みなみ)

観測点から見た地平面の方向を方位といい,東西南北の4基点をもとに,北から北北東,北東,……,東,……南南東,南,南南西……など16方位で呼ぶのが一般的である。北半球の中緯度地方で太陽の見かけの運動を観測すると,東から昇り,南の空を通過し,西へ沈む。したがって,古代人は〈南〉を太陽の通る方向と認識していたようで,英語のsouth(ドイツ語Süd)の原義はsunsideである。古来,中国や日本では十二支(干支(かんし))で方位を呼び,南は午に当たる。

伝統的日本人は南という方位にたいして何を感じたか,また南ということばから何を思い描いたか。まず,天武朝(672-686),持統朝(686-697)ごろ最も盛行を極めた陰陽五行思想の摂取・応用が基礎となって,爾後律令宮廷儀礼から民間生活習俗に至るまでの広い範囲にわたり,古代中国哲学の空間論および時間論の枠組みが大きな影響をもっていた。すなわち,南の方位とは,五行でいえば火(陽の気で,熱と光とをもつ)を,五色でいえば赤を,五時でいえば夏を,十干(じつかん)でいえば丙丁(草木が伸長し充実した状態)を,十二支でいえば午(万物が繁盛の極を過ぎて衰微のきざしを見せはじめたさま)を,九星でいえば九紫(高貴,頭脳,名誉,麗,表,争などを意味する)を,易卦(えきか)でいえば離(火,日,天,中女の相をあらわす)を,それぞれ意義し,それぞれが陰陽五行論哲学の理論的システムのなかで矛盾なしに作用すると考えられたのである。矛盾なしにと述べたが,その一例を挙げると,遠く南海の孤島にあると信じられた補陀落(ふだらく)(日本では和歌山県熊野地方がこの観音浄土に至る入口に擬せられた)への渡海(補陀落渡海)が〈子(ね)月〉(旧11月)と定められ,また渡海の船を送り出す補陀洛山寺の位置からすると那智滝の滝壺が〈子方〉(北,水気,坎宮(かんきゆう),一白をあらわす方位)に正しく位置するのは,このように周到綿密に計算されて形成された〈子午軸〉をたどるかぎり〈午(うま)方〉(南,火気,生命繁茂)なる観音浄土への到達は必ず可能なはずと信じられたためである。陰陽五行思想は,かくのごとく,日本人の伝統的感性の深層部分に浸透していたのである。

 このほかに,日本人が何か特別な南方観を持ったとすれば,それはきわめて新しい時代の産物である。そのことは,近世を代表する百科全書派的学者の著述のなかにみえる語源説を検討してみればわかる。

 新井白石《東雅》(1719成稿)は,つぎのように説く。〈ミナミとはミノミにて,海の見えし方といふなるべし〉〈上古の時この葦原中国,其北方は越の山重り隔りて,南方は海見えたりしかば,其方をさし名づけて,ミナミとはいひしなり〉と。谷川士清(ことすが)《倭訓栞(わくんのしおり)》(1776成稿)は〈みなみ,南をいふ。日本紀に明字もよめり,皆見ゆの義,日の南する時ハ万物皆明かなるをいへり,みんなみともよめり〉と説く。上古,東方へ勢力を伸長していく大和国家からみて〈南方は海見えたりしかば〉ミナミといったとする新井白石説も,太陽が南へまわったときは〈皆見ゆの義〉でミナミといったとする谷川士清説も,格別に常識からはずれた理屈づけを行っているのではない。これらはある意味で陰陽五行説に根ざしているとさえ解しうるような語源説をなすといってよいだろう。

 ところが明治近代になってから,在野の知識人のあいだに〈南進論〉が唱えられるようになったが,これこそはまったく異質のミナミ観の提起であった。志賀重昂(しげたか),田口卯吉,菅沼貞風,竹越与三郎らが,政府の北進理論に反対し,西欧列強による南洋地域の植民地化に注意を向けさせ,ひろく国民を〈海の思想〉に目ざめさせようとして論陣を張った。この〈南進論〉は明治末期から大正期に入ると一転して実利的な経済主義の側面を強調するようになり,とくに第1次世界大戦後のベルサイユ講和条約によって旧ドイツ領南洋群島が日本の委任統治領に帰してより以後は,台湾とならんで南洋の諸島が日本政府の〈南進政策〉の〈拠点〉と考えられ,これが昭和期の〈圏思想〉につながる伏線の役割を果たすことになる。しかも,そのような国策レベルだけでなしに,南洋へ渡って行く移民や南洋にあこがれを抱くようになった庶民のあいだに,いつ知れず〈南洋観〉〈南進論〉のような一種の思想がつくりだされるようになっていった。これについては,戦前戦後の日本人にとって,〈南進論〉〈南洋観〉が劣等観を吹き飛ばす役割を果たし,一方また,原日本のイメージを呼び起こす役割をもになった,という矢野暢の指摘がある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「南」の意味・わかりやすい解説


みなみ

方角の一つ。日の出る方向(東)に向かって右手の方向で、北とは反対である。方位として十二支を分配するときは午(うま)となり、北の子(ね)と結び天頂を通過する線は子午線(しごせん)とよばれる。四季では南は夏に配せられ、月では8月が南にあたる。語源的には皆見(みなみ)、すなわち「皆の見る方向」であることは家屋の構造などからもうなずかれることである。英語の南southの語源は、太陽の見える側sunsideからきているとされている。南はそれだけで南風、南に行くこと、地名(例、大阪の盛り場ミナミなど)としても用いられる。

[根本順吉]

 「聖人は南面して天下に聴く」(『易経』「繋辞上篇(けいじじょうへん)」)のことばで知られるように、中国では君主は南向きで臣下に対面したので、「南面」の語は君主の位につくことや、君主として天下を治めることをいった。古代中国の伝説上の王黄帝が発明したという指南車(周公の発明とも)が、つねに南をさし教えていたというのも、太陽が照り輝く南の方角と密接な関係があったとみてよいだろう。また、日本の寝殿造で、南に面した部屋を「みなみおもて(南面)」といって、正客を入れるところとするのも同様の考え方からであろう。これらを庶民的な生活感覚でとらえたのが「南竹藪(たけやぶ)、殿隣(とのどなり)」の諺(ことわざ)で、日当り、風通しの悪い住居をいう。

[宇田敏彦]

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百科事典マイペディア 「南」の意味・わかりやすい解説

南【みなみ】

大阪市中央部の旧区。1989年東区と合区,中央区となる。
→関連項目天王寺

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「南」の解説

みなみ【南】

高知の日本酒。酒名は、蔵元の名にちなむ。大吟醸酒、吟醸酒、純米酒、本醸造酒。平成22、25年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。原料米は松山三井、山田錦、吟の夢、五百万石などを使い分ける。仕込み水は安田川の伏流水。蔵元の「南酒造場」は明治2年(1869)創業。所在地は安芸郡安田町安田。

出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報

デジタル大辞泉プラス 「南」の解説

高知県、有限会社南酒造場の製造する日本酒。全国新酒鑑評会で金賞の受賞歴がある。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【北】より

…観測点から見た地平面の方向を方位といい,東西南北の4基点をもとに北,北北東,北東,東北東,東……など16方位で呼ぶのが一般的である。北は,観測者が太陽の昇る方向(東)に向いたとき左手に当たる方向で,英語のnorthもインド・ヨーロッパ語系のner(on the leftの意)に由来している。…

※「南」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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