(読み)だん(英語表記)tán

精選版 日本国語大辞典 「壇」の意味・読み・例文・類語

だん【壇】

[1] 〘名〙
神事を行なうときの祭壇。〔日葡辞書(1603‐04)〕 〔史記‐封禅書〕
② (maṇḍala 曼荼羅の訳) 仏語。修法のとき、仏菩薩等を安置し、供物、供具などを並べ供える台。
※宇津保(970‐999頃)藤原の君「修法せんに、五石いるべし。だん塗るに、土いるべし」
③ 仏語。受戒のときの戒壇。その構造や用途により種々の壇がある。
※観智院本三宝絵(984)下「ただ壇にのぼりて僧のうくるのみならず、又所に随て俗も受くべし」
④ 土などが高く盛ってある所。他よりいちだんと高くなっている場所。〔名語記(1275)〕
※虎明本狂言・文蔵(室町末‐近世初)「所は小早川の上の段、すぐ六石といふ所にて」
[2] 〘語素〙 専門を同じくする仲間の社会の意を表わす。「文壇」「俳壇」など、芸術関係の人々のまとまりをいうことが多い。

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デジタル大辞泉 「壇」の意味・読み・例文・類語

だん【壇】[漢字項目]

常用漢字] [音]ダン(呉) タン(漢)
〈ダン〉
土を小高く盛り、上を平らにした所。「花壇祭壇
他より一段高くした設備。「壇上演壇教壇降壇登壇仏壇
学芸の専門家の社会。「歌壇画壇楽壇詩壇俳壇文壇論壇
〈タン〉1に同じ。「土壇場どたんば

だん【壇】

土を盛り上げてつくった、祭りその他の儀式を行う場所。
他より一段高くこしらえた場所。演壇・講壇など。「拍手を浴びてをおりる」
《〈梵〉maṇḍalaの訳。音写は曼荼羅まんだら》密教で、修法のとき、仏像などを安置し、供物などを供える場所。インドでは土壇、中国・日本では多く木壇を使用。
[類語]舞台ひのき舞台回り舞台ステージ

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改訂新版 世界大百科事典 「壇」の意味・わかりやすい解説

壇 (だん)
tán

古代中国で祭祀をはじめ朝会,盟誓,封拝などの大典を行うために,平たんな地上に設けられた土築の高い露台。古代以来,皇帝がとくに壇を築いて犠牲を供え,柴を燔(た)いて丁重を示し,みずから天神をまつる祭祀が行われた。《礼記(らいき)》祭法篇に〈柴を泰壇に燔き,天を祭る〉という()。古く殷・周時代においては,それはみずから遠祖の民族神信仰に連なるものであったとみられる。歴代の皇帝は,天命を受けて政をしく天子として,上帝をまつってその功徳に報ずる儀式を行うのがつねであった。その祭祀には,とくに霊山聖域を選んで行う封禅(ほうぜん)と,主として都城の郊外で行われる郊祀とがあった。封禅は,山上に土を盛り壇を築いて天をまつる封拝と,山下に土を平らにし墠(ぜん)(また壇,禅)をつくって地をまつる禅祭とを併称する。歴史的には,秦の始皇帝が前219年に泰山で行った例,前漢の武帝が前110年(元封1)に泰山で行った封禅が知られる。すでに秦・漢の泰山の封禅には本来の報徳の義をはなれ,不老長寿の祈願など,神仙思想(神仙説)の影響や道教的な色彩がみとめられたが,この儀式は後世,宋代以降はついに廃絶した。郊祀は,歴代王朝がほとんど例外なく挙行した重要な祭祀儀礼であり,近くは清代末期まで続けられたもので,その遺構も現存する。

 祀天祭地をはじめ,古代中国の祭祀制度には自然信仰の面がつよく,歴代王朝が建設した壇もその内容を反映している。実際の建築としては,祭祀,跪拝を行う本来のかたちの露壇と,空間構成をもつ建築群からなる祠廟という両種の形態をとる場合があるが,一般にこれらを併せて壇廟と総称することが多く,天壇地壇,日壇,月壇および社稷(しやしよく)壇,水・火・山・川の壇,あるいは城隍(じようこう)廟,土地廟,四瀆(しとく)や五岳の廟,先蚕廟,風・雲・雷・雨諸神の廟などが建設された。歴史を通じて重要な儀礼とされた天子祀天の壇は,泰壇,郊壇,郊丘,郊兆,圜丘(えんきゆう),円丘,天壇等とよばれ,都城の南郊に設けられるのが原則で,前漢の成帝が前32年(建始1)に長安に築いたのをはじめ,歴代王朝の多くが建設したが,規模,形式は一定ではない。

 現存する北京の天壇は,明代初期に天地合祀の殿として創建され,嘉靖年間(1522-66)に合祀制を廃して圜丘が築かれ,清朝もこれをうけつぎ乾隆年間(1736-95)に拡張整備を行ったもので,その後の焼失,再建を経ているが,乾隆当時の規模,形式を伝えている。皇帝が毎年冬至にみずから天をまつる,圜丘と称する白石3成の露壇のほか,毎春に五穀豊饒を祈願する祈年殿や,皇穹宇,斎宮などの建築群で構成されている。天壇は,当初は城外の南郊に位置し(のちに外城内となる),北郊には地壇が設けられ,前者が3成の円壇,後者が2成の方壇で,天円地方および陽陰をかたどった。このほか東西両郊には日壇・月壇も設けられていた。一方,《周礼(しゆらい)》考工記に〈左祖右社〉,すなわち宮城の左に祖廟,右に社稷壇を設けるという原則があるように,社稷壇は土地神・五穀神をまつる壇として,重要な位置を占めた。北京の社稷壇と太廟は紫禁城(故宮)の前方西東に現存し,前者は中央土と四方の五行説にもとづく色彩で表されている。
執筆者:

壇 (だん)

仏事の法具名。座位より高く作り,上に法具等を配置するもの。堂の本尊を安置してある須弥壇(しゆみだん)は別として,法要の種類により必要な壇が違い,それを所定の位置に据える。多用されるのは,密教立(みつきようだて)の法要に用いる大壇(だいだん)と護摩壇(護摩)で,大壇は略式の修法壇で代用することもある。そのほか,聖天壇(しようてんだん),十二天壇,神供壇(じんくだん),灌頂壇(かんぢようだん),表白壇,施餓鬼壇(せがきだん)など壇の種類は多い。
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日本歴史地名大系 「壇」の解説


だん

[現在地名]岩国市大字下 壇

大光だいこう寺の上の山一帯の称。弘治元年(一五五五)毛利隆元が大内義長と戦った時、陣を敷いた所という伝えがある(玖珂郡志)。南に延びた柏木かしわぎ山の尾根の端にあり、にしき川を三方に望む地である。

現在この地には愛宕あたご神社を祀るが、その縁起について「玖珂郡志」は「愛宕勧請コトハ正平廿一年、大内義弘、此壇村ヘ押寄セ焼払シ時、当地城主江良弾正定乗ト云、防ギケルガ、此城焼失ハ狐ノ所為ナルヲ知リテ、其悪狐ヲ殺セリ、此所ヲ狐石ト云、此石ニ狐ノ霊留リ折フシ火災ヲ起スコトアリ、其後弘治元年、毛利隆元公、大内義長退治ノ時、ココニ宿陣アリシニ火災ノコトアリ、是ニ狐霊修験者ト化シテ、我霊ヲ祭ルベシト告ケル故、天正九年ニ其霊ヲ収テ石ヲ立祭リ、定乗ノ五輪モ一同ニ立ケレドモ誰祭ル者モナシ、時ニ明和七年、二百年ニ当リ火災ノ告アリ、依之、愛宕神ヲ勧請シケルニ、安永十年彼所ヲ汚セシ者アリケレバ、其所ヨリ火ノ玉出テ、大ニ火災起リ止コトヲ得ズ、依之、厳島ヘ占ニカヽリケレバ、是ハ井戸ヲ掘タル時、其石垣ニセシ故、其祟ト云コトアリ、夫故、愛宕社ヲ改テ尊信シ奉リテ火災鎮リヌ」と記している。

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