行方(読み)ゆくえ

精選版 日本国語大辞典 「行方」の意味・読み・例文・類語

ゆく‐え ‥へ【行方】

〘名〙 (「行衛」ともあてる)
① めあてとして進み行く方向。向かうべき先。また、行った先。前途。ゆく先。ゆくて。
万葉(8C後)一五・三六二七「さ夜ふけて 由久敝(ユクヘ)を知らに あが心 明石の浦に 船泊めて 浮寝をしつつ」
※俳諧・米沢家蔵芭蕉真蹟‐幻住菴記(1690頃)「みのむしのみのを離て、行衛なき風にうかれ出むとす」
② 今後の有様。ゆきつく先。先のなりゆき。将来。前途。ゆくすえ。
※万葉(8C後)一一・二七二三「あまたあらぬ名をしも惜しみ埋木の下ゆそ恋ふる去方(ゆくへ)知らずて」
※仮名草子・ねごと草(1662)上「きみのゆくゑをいのらせたまへかし」
子孫
※太平記(14C後)一三「故大納言殿の忘形見の出来させ給て候しが、〈略〉是も咎(とが)有し人の行ゑなれば、如何なる御沙汰にか逢候はんずらん」
④ 銭(ぜに)をいう、女房詞
※大上臈御名之事(16C前か)「ぜに、御あし、ゆくゑとも」

ゆく‐かた【行方】

〘名〙
① 進んで行く方角。行く先の方。ゆくえ。ゆくさき。ゆくすえ。ゆくて。
※竹取(9C末‐10C初)「たびの空に、たすけ給べき人もなき所に、色々のやまひをして、行方空もおぼえず、船のゆくにまかせて」
② 心や気持の、進んで行く方向。心や気持の晴れる方法。やるかた。やるせ。多く打消の語を伴って用いる。
※古今(905‐914)物名・四六二「夏草のうへはしげれるぬま水のゆく方のなきわがこころかな〈壬生忠岑〉」

いき‐かた【行方】

〘名〙
① ある場所へ行く方法。行く道順。ゆきかた。
② やり方。仕打ち。態度。
※俳諧・雑談集(1692)上「只句作をあやかり、行形(イキカタ)をまね」
③ ものわかり。のみこみ。
浄瑠璃女殺油地獄(1721)下「はて爰な人は、いきかたの悪い

ゆき‐かた【行方】

〘名〙
① ある場所へ行く道順。また、行く方法。いきかた。
② 事を処理する方法。やりかた。しかた。いきかた。
浮世草子・好色盛衰記(1688)二「此行かたの男には、目ふさぎて首尾してやるが道なるに」

なめかた【行方】

(古くは「なめがた」とも)
[一] 茨城県南東部の郡名。霞ケ浦と北浦との間にはさまれる。古代遺跡が多い。
[二] 福島県東部にあった郡名。明治二九年(一八九六宇多郡と合体して相馬郡となる。

ゆき‐がた【行方】

〘名〙 行くべき方向。行く方向。また、行った方向。行った先の場所。ゆくえ。いきがた。
※宇治拾遺(1221頃)一二「ののしり笑ければ、逃さりにけり。其後は行方もしらず、長(ながく)うせにけりとなん」

いき‐がた【行方】

〘名〙 行った先の場所。ゆくえ。ゆきがた。
※あさぢが露(13C後)「いづくにもおくりきこえんと申ししかども、いき方おぼえぬよしの給ひしかば」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「行方」の意味・読み・例文・類語

ゆく‐え〔‐へ〕【行方】

行くべき方向。向かっていく先。「行方を定めずに旅立つ」
行った方向。行った先。「行方が知れない」「行方をくらます」
今後のなりゆき。また、将来。前途。「外交の行方を見守る」「行方を案じる」
[補説]「行衛」とも当てて書く。
[類語](1行き先行く先行く手/(3将来今後未来近未来行く末末末前途向後自今来たる目先行く先行く手行く行く先行き先先生い先あとのちあとあとのちのち後年他年この後これから向こう

ゆき‐かた【行(き)方】

ある場所に行く方法・道順。いきかた。「電車での行き方を教える」
物事を進める方法。やり方。いきかた。「堅実な行き方
[類語]方法仕方やり方方途方策さく手段手立てすべほう手法技法手順方式仕様致し方手口やり口機軸定石方便術計メソッド

なめがた【行方】

茨城県南東部、霞ヶ浦北浦に挟まれた地域にある市。低地を利用した稲作のほか、チンゲンサイの栽培が盛ん。平成17年(2005)9月に麻生町北浦町玉造町が合併して成立。人口3.8万(2010)。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「行方」の意味・わかりやすい解説

行方[市] (なめがた)

茨城県南部の市。東は北浦(きたうら),西は霞ヶ浦に面する。2005年9月麻生(あそう),北浦,玉造(たまつくり)の3町が合体して成立した。人口3万7611(2010)。

行方市南部の旧町。旧行方郡所属。人口1万6587(2000)。東は北浦,西は霞ヶ浦に面し,中央に行方台地が広がる。中心集落の麻生は霞ヶ浦に面し,中世には常陸大掾氏の一族麻生氏が麻生城に拠って支配し,江戸時代は麻生藩新庄氏1万石の陣屋が置かれた。明治維新後,1878年に郡役所が置かれ,以後も郡の行政・文化の中心となり,現在も官公署や学校などが集中し,商店街を形成している。水郷稲作地帯の中心であるが,近年,北浦沿岸ではハス田への転換が多くみられ,霞ヶ浦沿岸では冬季にセリの栽培やイチゴのハウス栽培が行われる。畑作は葉タバコに代わって野菜の生産が増えている。ワカサギ漁を中心とした霞ヶ浦,北浦の内水面漁業も水質汚濁が進み,かつての面影はないが,近年はコイの養殖が盛んとなり,水産加工も行われる。天王崎,羽黒山公園は水郷筑波国定公園の景勝地である。縄文後期の大宮台貝塚や南古墳群などがあり,行方城跡など中世の山城跡も多い。

行方市北東部の旧町。旧行方郡所属。人口1万0938(2000)。北浦北西岸にあり,町域の大部分は行方台地上にある。台地上では古くから平地林の開墾が進み,サツマイモ,葉タバコ,ラッカセイ,ミツバなどが生産されたが,近年はトマト,メロンなどの生産がふえ,養鶏,養豚も盛ん。北浦沿岸の水田ではセリやれんこんの栽培が行われる。北浦の内水面漁業はワカサギの水揚高が減り,コイの養殖がふえている。北浦対岸にあたる鉾田市の旧大洋村との間に鹿行(ろつこう)大橋がかかる。

行方市北西部の旧町。旧行方郡所属。人口1万3940(2000)。霞ヶ浦の北東岸に位置し,町域の東部,北部は行方台地が占める。湖岸の低地では米,台地上ではラッカセイ,葉タバコなどが生産され,近年はイチゴ,ミツバなどの生産がふえている。霞ヶ浦の内水面漁業も盛んで,網いけすや水田を利用したコイの養殖が行われ,梶無川河口には県の内水面水産試験場がある。鹿島臨海工業地域の後背地として工業団地が造られている。5世紀末の前方後円墳三昧塚(さんまいづか)古墳や中世の玉造城跡,芦沢館跡などがあり,天台宗の名刹(めいさつ)西蓮寺の仁王門および相輪橖(そうりんとう)は重要文化財に指定されている。対岸のかすみがうら市の旧霞ヶ浦町との間は霞ヶ浦大橋で結ばれる。鹿島鉄道線が通じていたが2007年廃止。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android