20世紀フォックス会社(読み)にじっせいきフォックス(英語表記)Twentieth Century-Fox Film Corp.

改訂新版 世界大百科事典 「20世紀フォックス会社」の意味・わかりやすい解説

20世紀フォックス[会社] (にじっせいきフォックス)
Twentieth Century-Fox Film Corp.

アメリカの映画会社。ウィリアム・フォックスWilliam Fox(1879-1952)のフォックス映画社(1915設立)とジョゼフ・M.スケンクJoseph M.Schenck(1878-1961)およびダリル・F.ザナックの20世紀映画社(1933設立)が1935年に合併してできたハリウッドの〈ビッグ・ファイブ〉の一つである。フォックス映画社は,1906年に,アメリカの最初の映画常設館であったニッケルオデオンの経営からスタートしてしだいにニューヨークを中心に映画館を増やし,10年代には製作,配給も始め,バンプvamp女優第1号として知られる妖艶なスター,セダ・バラTheda Bara(1890-1955)を売り出し,20年代にはアドルフ・ズーカーのパラマウント,マーカス・ローのMGMとともにハリウッド最大の映画企業体に成長した。〈ムービートンmovietone〉と名づけたフィルム式トーキーsound-on-film processを開発,ワーナー・ブラザースの〈バイタフォンvitaphone〉に対抗しつつトーキー実用化の先鞭をつけたが,トーキー特許権をめぐって金融資本に敗北,29年の経済恐慌から事業不振におちいり,ロックフェラー系のチェース・ナショナル銀行大部分の株を買い占められ,35年,20世紀映画社と合併した。

 20世紀フォックス映画のカラーをつくり上げたのは,42年から62年まで社長の任にあり,製作のすべてを掌握し,独裁的であるとさえいわれた強力で個性的なスパイロス・スクーラスSpyros Skouras(1893-1971)と,1935年から56年まで製作本部長を担当し,62年からはスクーラスの後を継いで社長となったダリル・F.ザナックである。そのスクーラス=ザナック体制下で,シャーリー・テンプルアリス・フェイ,ドン・アメチ,ベティ・グレーブル,マリリン・モンローといったスターが生まれ,《地獄への道》《モホーク太鼓》(ともに1939)から《荒野の決闘》(1946)をへて《拳銃王》(1950)に至る西部劇,《怒りの葡萄》(1940),《わが谷は緑なりき》(1941)から《紳士協定》(1947),《蛇の穴》(1948)をへて《イヴの総て》(1950),《革命児サパタ》(1952)に至る社会劇など,さまざまなジャンルの野心作,問題作がつくられた。

 1950年代になってテレビジョンの脅威にさらされた映画界が深刻な不況を迎えると,他社にさきがけて大型画面の〈シネマスコープ〉を開発,その第1作の《聖衣》《百万長者と結婚する方法》(ともに1953),《ショウほど素敵な商売はない》(1954),《王様と私》(1956)などを製作して成功したが,《陽はまた昇る》(1957),《自由の大地》(1958)などの大作が失敗して不況から脱しきれず,ウェスト・ロサンゼルスにある撮影所の所有地の大部分が商業団地センチュリー・シティの開発に転用されるはめに立ち至った。さらに,4年の歳月と4000万ドルを費やしてローマで製作された空前の超大作クレオパトラ》(1963)の興行的失敗が致命的な打撃をあたえることになった。56年に独立プロデューサーに転じて《史上最大の作戦》(1962)などを製作したザナックが62年から復帰して社長になったのもそんな事情からであり,その後《サウンド・オブ・ミュージック》(1965)が映画史上の記録的なヒットとなり,《猿の惑星》(1968)といったヒット作もつづいたが,過信にもとづいた大作主義による《ドリトル先生不思議な旅》(1967),《スター!》(1968)が惨敗し,《パットン大戦車軍団》《M★A★S★H》(ともに1970)といったヒット作があったにもかかわらず,70年には7700万ドルの欠損を記録,71年にはザナックが引退し,不況のなかで首脳の追放と交代がつづいた。その間,テレビ映画を製作し,また《フレンチ・コネクション》(1971),《ポセイドン・アドベンチャー》(1972),《タワーリングインフェルノ》(1974),《オーメン》(1976),《スター・ウォーズ》《愛と喝采の日々》《ジュリア》(ともに1977),《結婚しない女》(1978)などのヒット作が生まれ,80年にはハリウッド史上初めての女社長として女優出身のシェリー・ランシングSherry Lansingが君臨し,《スター・ウォーズ 帝国の逆襲》(1980)などを製作して大ヒットを飛ばしたが,メジャー各社が大資本の配下におかれているなかでコングロマリットに吸収合併されずに〈プライベート・カンパニー〉(株主数が50人を超えず,株式が一般公開されていない会社)として孤軍奮闘してきた20世紀フォックスも,81年4月には,アメリカの石油王マービン・デービスに約8億ドルで〈身売り〉してユナイテッド・テレビジョン社に合併され,現在はニューズ・コーポレーションの傘下にある。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の20世紀フォックス会社の言及

【映画】より

… ブロックブッキングの制度によって,1930年代のハリウッドはその全盛期を迎える。35年には,ロックフェラー財閥とモルガン財閥という2大金融資本の支配下で,パラマウント,ワーナー・ブラザース,MGM,20世紀フォックス,RKO,ユニバーサル,コロムビア,ユナイテッド・アーチスツの大手8社(〈メジャー〉の名で呼ばれた)がMPPA(アメリカ映画製作者連盟)を組織し,配給の95%を独占。パラマウント,ワーナー,MGM,20世紀フォックス,RKOの5大会社だけでアメリカ映画のほぼ80%を製作し,4000館の一流封切館を所有し,総売上高(興収)の88%を稼ぎ出していたといわれる。…

【ザナック】より

…ネブラスカ州に生まれる。1923年,ワーナー・ブラザースの脚本家として映画界に入り,29年に製作本部長となり,ワーナーの特色になった《犯罪王リコ》(1930)をはじめとするギャング映画の路線を敷くが,政策をめぐる意見の対立から33年に退社し,35年20世紀フォックスの製作担当副社長となる。40年代には《怒りの葡萄》(1940),《わが谷は緑なりき》(1941)などで社会問題を取り上げ,戦後は人種偏見を主題とした《紳士協定》(1947),《ピンキー》(1949)を製作し,映画製作者としての気骨と積極性を示した。…

※「20世紀フォックス会社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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