Andropov,Yu.V.(英語表記)AndropovYuV

世界大百科事典(旧版)内のAndropov,Yu.V.の言及

【ソビエト連邦】より


[アンドロポフ期]
 ブレジネフは82年11月,多くの未解決の問題を残して76歳で死去した。後任となったのは,68歳の国家保安委員会議長アンドロポフYurii Vladimirovich Andropov(1914‐84)である。その登場に対して国の内外での期待は大きかった。…

【ソビエト連邦共産党】より

…しかし経済成長は止まり,また1979年末のアフガニスタン侵攻や戦略兵器制限交渉の棚上げにより対米関係が冷却化し,また〈連帯〉をめぐるポーランドにおける諸事件などで,労働者の前衛という党の正当性の根拠が問われる事態となった。1982年11月のブレジネフの死後,アンドロポフYurii Vladimirovich Andropov(1914-84)が党書記長となり,その病死により,84年チェルネンコが後を継いだ。 フルシチョフ以後時代の党支配は制度の安定化に主眼がおかれ,党と政府の各種の利害は政治局による集団指導に反映された。…

※「Andropov,Yu.V.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android