デジタル大辞泉
「バル」の意味・読み・例文・類語
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バル
Bar
モンテネグロ南西部,アドリア海に面する港および港町。モンテネグロ最大の港であり,唯一の海運上の玄関口である。都市名はノービバル (新バル) 。ルミヤ山のふもとにスタリバル (旧バル) の遺跡がある。バルに関する最古の記述はビザンチン帝国下の9世紀にさかのぼる。地中海諸国にはアンティバリの名で知られた。 11世紀から 15世紀にかけてたびたび自治権を獲得。 14世紀にはこの地の大主教がセルビア大主教の称号を得た。 1443~1571年ベネチア,1571~1878年オスマン帝国の支配下に置かれた。 1878年モンテネグロ人がオスマン帝国から独立をかちとった際,一部が壊滅,さらに 1881年と 1912年の戦闘で廃墟となり放棄された。 1970年代後半以降,原油の輸出入の増大に伴って都市部は大幅に拡大された。セルビアの首都ベオグラードと鉄道で結ばれ,南東にはリゾート地で知られる港町ウルツィニがあり,内陸にはバルカン半島最大の湖であるシコダル湖がある。人口4万 5223 (2003推計) 。
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バル
Hugo Ball
生没年:1886-1927
ドイツの作家。ニーチェの影響で文化改革者を自覚し,演劇界へ入る。ミュンヘンの演出家時代にカンディンスキーからも感化を受ける。第1次大戦で反戦思想を深め,スイスへ亡命。1916年チューリヒでダダ運動の開祖となり,音声詩を創出した。ダダ離脱後はドイツ批判の筆を取ったが,大戦後カトリックに改宗し,極貧と禁欲生活の中で教父の思想書や,アナーキズムを媒介とし〈大いなる拒絶〉の精神に満ちた回想録《時代からの逃走》,《ヘッセ論》(ともに1927)などを著述,ルガノ近郊で早世した。
執筆者:土肥 美夫
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バル
モンテネグロの南東部の都市。アドリア海に臨む同国の主要港湾都市で,イタリアのバーリと相対する。また隣国セルビアの首都ベオグラードへ通ずる幹線鉄道の起点ともなっている。ローマの植民地でもあった古い町で,古くはアンテバリウムといわれ,イタリア語ではアンティバーリと呼ばれている。近くには南東に観光・保養地として知られるウルチニがあり,北東にはバルカン最大の湖シュコダル湖がある。人口1万3809人(2005)。
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バル【bar(スペイン)】
スペインの飲食店の一種で、喫茶店・軽食堂・居酒屋を兼ねたような店。カウンターがあり、コーヒーや、ワインなどのアルコール類、タパスと呼ばれる小皿料理などを出す。
出典 講談社飲み物がわかる辞典について 情報