EMIグループ(読み)いーえむあいぐるーぷ(英語表記)EMI Group Ltd.

日本大百科全書(ニッポニカ) 「EMIグループ」の意味・わかりやすい解説

EMIグループ
いーえむあいぐるーぷ
EMI Group Ltd.

イギリスの音楽関連事業を中心とする総合企業。世界有数のレコード会社として長い歴史をもつ。

創業~1950年代

その起源は蓄音機「グラモフォンgramophone」(1887)の発明にさかのぼる。発明者のエミール・ベルリナーEmile Berliner(1851―1929)は、1897年にロンドンEMI前身であるグラモフォン社を設立した。画家フランシス・バローFrancis Barraud(1856―1924)によって描かれた、蓄音機の音に耳を傾ける犬の図柄「His Master's Voice」を買い取り、以後、同社製品の有名なトレードマークとなった(後にビクターが所有)。ベルリナーは蓄音機製造だけではなく、レコード録音事業や、その海外展開にも力を傾注した。その結果、海外拠点はドイツ、フランス、イタリア、ロシアインドに拡大、1902年(明治35)には日本にも支社が開設された。

 1913年までに3分の1の家庭が蓄音機をもつようになったイギリスにおいて、グラモフォン社は有名音楽家と契約することによってレコードの売上げを伸ばした。そのなかには、指揮者のトスカニーニフルトベングラー、作曲家のエドワード・エルガーなどがいた。1931年にコロンビア・グラフォフォン社Columbia Graphophone Co.と合併後、EMI(Electric and Musical Industriesの略)に改称。同年、後にビートルズによる同名タイトルのアルバムのヒットで世界的に有名となるレコーディング・スタジオをロンドンのアビー・ロードAbbey Roadに開設した。

 1940年代には、カラヤンやオットー・クレンペラーを契約音楽家に加え、ラインナップはますます充実した。さらに、ポピュラー部門を開拓するため、A&R(artists and repertoryの略。担当スタッフが新人アーティストの発掘から育成、楽曲の選択まで行うシステム)を初めて設けた。そのなかには、後年ビートルズのプロデュースで名をあげ、EMIの発展に大きく貢献したジョージ・マーチンGeorge Martin(1926―2016)がいた。また、1952年にはオペラ歌手のマリア・カラスとも契約し、多くの録音を残している。1955年アメリカの大手レコード会社キャピトル・レコードCapitol Recordを買収し、大西洋の両岸において有力なレコード会社となった。

[安部悦生]

1960~1970年代

こうした音楽関係の事業とともに、EMIは軍事関係のレーダー設備、BBCのテレビシステムの開発など高度な技術を用いた電子機器の製造にも携わっていたが、同社の名が高まったのは音楽部門の発展によってであった。とくに1960年代は大きな弾みがついた時代である。1962年にビートルズと契約したEMIはレコードの売上げを飛躍的に伸ばし、またアメリカのビートルズともよばれたビーチ・ボーイズは傘下のキャピトル・レコードの所属であった。その後もピンク・フロイドクイーンなど大物アーティストと契約。1973年(昭和48)には東京芝浦電気(現、東芝)と合弁で東芝EMIを設立し、日本市場でも大きなシェアを占めた。その結果、1960年代末にはレコード関係の利益が電子機器部門の売上げを上回ることになった。さらに1973年には音楽出版、版権管理の子会社としてEMIミュージック・パブリッシングEMI Music Publishing Ltd.を設立した。

 一方、1921年にエドワード・エルガーがロンドンに設立したレコード小売ストアであるHMV(His Master's Voiceの頭文字から採用)の拡張に1960年代から着手。HMVチェーンは1970年には15店、1976年には35店に成長した。

 しかし、1970年代は多くの経営的困難にも直面した時期であった。アメリカのキャピトル・レコードは多額の損失を計上し、イタリア市場への進出は失敗。またEMIは医療機器部門ももっていたが、そこでX線断層撮影機の開発に成功し、初期には成果をあげたものの、まもなくアメリカのGEゼネラル・エレクトリック)がより高速の類似機を出すに及んで、赤字を累積することとなった。

[安部悦生]

ソーンEMIの誕生

そうした状況のなかで、EMIは1980年ソーン・エレクトリカル・インダストリーズと合併し、ソーンEMI(ThornEMI)となった。ソーン社は、ジュールズ・ソーンJules Thorn(1899―1980)によって1928年に創業された電球製造の会社であり、最初の社名はエレクトリカル・ランプ・サービス・カンパニーであった。合併した両社には類似の事業もあり、また補完的なところもあって合併が実現したのである。合併によりさまざまな分野に子会社が存在することになったが、1980年代に半導体、テレビ製造、台所用機器、医療機器、ホテル、レストランなど60以上の事業が売却された。1990年にはソーン社の創業事業である電球部門も売却し、事業内容はシンプルになった。1992年時点のソーンEMIの売上げは約40億ポンド、従業員数は5万1000人を擁し、売上げの51%は海外から、また従業員の4割が海外現地採用であった。

[安部悦生]

事業構造の再編

1990年代以降はメディア分野への投資を強め、1994年に24時間の音楽専門の放送局VIVAをベルテルスマン(ドイツ)、フィリップス(オランダ)、タイム・ワーナー(アメリカ)、ソニーなどと共同で設立。また1995年には国内大手書店チェーンのディロンズDillonsを買収してHMVに吸収した。

 1986年に独立の事業部となったHMVなどCD販売チェーンは、その後海外にも進出して成功を収め、1990年(平成2)には日本にも出店。1992年にはイギリスのバージン・ミュージック・グループを約5億ポンドで買収して傘下に収めた。1996年時点で世界8か国に300以上の店舗を運営した。

 このように、1980年代から1990年代にかけて、電子機器関係から音楽・サービス関係に戦略をシフトさせたソーンEMIは、1996年にソーンを分離し、社名をEMI Group plcに変更した。さらに音楽ソフトのインターネット配信が本格化するなか、EMIグループは経営資源をネット配信に集中する方針を決め、傘下のCD製造部門、HMVグループの株式を1998年から売却し始めた。しかし、音楽ソフトの世界的な販売不振のため業績は悪化していった。2007年8月、イギリスの投資会社テラ・ファーマTerra FirmaがEMIを買収、EMIのロンドン証券市場上場を廃止し、社名をEMI Group Ltdに変更した。2011年に全株式をアメリカの金融大手シティグループが取得。翌2012年に、音楽出版部門がソニー・グループにより買収され、レコード部門はユニバーサル・ミュージック・グループにより買収された。2010年の売上高は16億5100万ポンドである。

 日本の東芝EMIについては2007年、EMIが株式の東芝保有分(45%)すべてを買い取り、社名をEMIミュージック・ジャパンとした。

[安部悦生]

『蓑島弘隆著、ソフト研究会編『エンターテインメントが世界を征す――レコードビジネスに今、何が起こっているか?』(1991・ビクター音楽産業)』『ブライアン・サウソール、ピーター・ヴィンス、アラン・ラウズ著、内田久美子訳『アビイ・ロードの伝説』(1998・シンコーミュージック)』『S. A. PanditFrom Making to Music ; The History of Thorn EMI(1996, Hodder & Stoughton, London)』『Peter MartlandSince Records Began ; EMI The First 100 Years(1997, Amadeus Press, Cambridge)』

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