コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

Harald Blåtand HaraldBlatand

世界大百科事典内のHarald Blåtandの言及

【イェリング】より

…二つの古墳,二つのルーン石,列柱石によって三角に囲われた〈聖域〉,今日の教会の下にのこされた最初期の木造教会と,さらにその下の異教神殿跡がある。ルーン石の一つはゴルム老王が妃テューレThyreのために,もう一つはハーラル青歯王Harald Blåtand(?‐986ころ)が父ゴルムとテューレのために立てたもの。そこでハーラルは〈デンマークとノルウェーをわがものとし,デーン人をキリスト教徒とした〉と誇っている。…

【スベン[1世]】より

…在位985ころ‐1014年。985年ころ,父のハーラル青歯王Harald Blåtand(?‐985)に対して反乱を起こし,王位を奪った。994年以降約20年間にたびたびイングランド遠征を行い,デーン・ゲルトを多額に徴収した。…

【デンマーク】より

…デンマーク最初の王たちは自地域の最南に土塁〈ダーネビルケ〉を構築し,交易地ヘゼビュー(ハイタブ)の防衛と祖国防衛に力を注ぎ,この活動の延長上に,王の率いるバイキング活動が存在し,フランク王国とはアイダー川を国境として約定した(811)。やがてイェリングの地で興った王家は,970年ころハーラル青歯王Harald Blåtand(在位935ころ‐985ころ)治下で王国をキリスト教化し,その子スベン1世がイングランドを征服しその王を兼ね(1014),その次男クヌット2世が1016年イングランド王位に就き,18年兄ハーラル2世の没後はデンマーク王を兼ね,さらに28年ノルウェー王にも推戴され,3王国の王となった(これは北海帝国と呼ばれる)。クヌットの姉エストリドの子スベン2世Svend II(在位1047‐74)は,その統治期間中に現代のデンマークにつながる内政的秩序を打ち立て,後の王はなんらかの形で彼に血統をさかのぼらせることになる。…

※「Harald Blåtand」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

Harald Blåtandの関連キーワードスベン[1世]イェリング青歯王

今日のキーワード

だまし面接

企業が面談や懇談会と称して就職活動中の学生を呼び出し、実質的には学生を選考する偽装面接のこと。2016年卒業の大学生に対する選考活動の開始時期を、従来の4月1日から8月1日以降へと後ろ倒しする主旨の「...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android