JPモルガン・チェース(読み)じぇーぴーもるがんちぇーす(英語表記)JPMorgan Chase & Co.

日本大百科全書(ニッポニカ) 「JPモルガン・チェース」の意味・わかりやすい解説

JPモルガン・チェース
じぇーぴーもるがんちぇーす
JPMorgan Chase & Co.

アメリカの銀行持株会社。バンク・オブ・アメリカ、シティグループと並ぶアメリカの巨大銀行持株会社の一つ。2000年、ロックフェラー系の銀行持株会社チェースマンハッタン(当時全米第3位)とモルガン系の銀行持株会社J・P・モルガン(同5位)とが合併して誕生した。合併後は、J・P・モルガンのブランドで世界的な規模で投資銀行業務などを展開、一方、チェースのブランドでアメリカ国内の商業銀行・消費者金融サービス(クレジットカードなど)を取り扱う。アメリカ国内に子会社としてJPモルガン・チェース銀行JPMorgan Chase Bank、チェース銀行Chase Bankなど五つの銀行をもつほか、JPモルガン証券JPMorgan Securities, Inc.などを傘下にもつ。

[萩原伸次郎]

チェース・マンハッタン

チェース・マンハッタンの中核であるチェース・マンハッタン銀行は、1955年にチェース・ナショナル銀行Chase National Bank(1877創立)とマンハッタン銀行Bank of the Manhattan Co.(1799創立)が合併して生まれた。チェース・ナショナル銀行は、1930年にロックフェラー財閥の傘下に加わって以来、同財閥の基幹銀行としてとくに石油産業に多大の投資を行ってきた。マンハッタン銀行との合併後、1965年には州法銀行から連邦法銀行に転換し、さらに1969年には銀行の活動に関する法的規制を免れるため、単一銀行持株会社チェース・マンハッタンをつくり、自らをその子会社とした。チェース・マンハッタンは傘下にチェース・ナショナル銀行の子会社であったチェース証券を有し、国際的な証券業務も行っている。

 1996年3月、チェース・マンハッタンは当時全米第4位の総資産を誇った銀行持株会社ケミカル・バンキングChemical Banking Corp.と合併して、当時全米最大の銀行持株会社となった。合併後のチェース・マンハッタン銀行は、グローバル・バンキング(国際ホールセール)、国内消費者サービス、電子商取引の三つに重点を置いた。グローバル・バンキングは同社の中心的業務であり、企業、公共機関を対象にした投資銀行業務、財務アドバイス、仲介、投資情報サービスなど、大口の金融業務(ホールセール)が国際的に行われ、アメリカおよび世界50か国以上を網羅する営業拠点をもつ。国内消費者サービスは一般顧客を相手とするリテール小口取引)銀行業務が中心であり、ニューヨーク州テキサス州の銀行ネットワークを中心に3000万以上の顧客をアメリカ全土にもつ。電子商取引は、同社の世界的な現金管理、信託業務と企業の情報技術部門とが連携して展開される。1999年(合併前)の総資産高は4061億0500万ドル、預金高は2417億4500万ドル。

[萩原伸次郎]

J・Pモルガン

創業期

J・P・モルガンの創業は古く、1838年にアメリカの実業家ピーボディGeorge Peabody(1795―1869)が、ロンドンで開いたマーチャント・バンクがその発祥である。当時ピーボディの共同経営者であった国際的な金融事業者ジュニアス・スペンサー・モルガンJunius Spencer Morgan(1813―1890)が、1864年にJ・S・モルガン商会J.S. Morgan & Co.の名で会社を引き継いだ。その3年前の1861年、ジュニアスの息子でありモルガン財閥の始祖ジョン・ピアポント・モルガンは、J・P・モルガン商会J.P. Morgan & Co.をわずか24歳で設立。当初は、父親の会社のニューヨーク代表であった。その後、1870年に連邦政府の財政顧問となったJ・P・モルガンは、プロイセン・フランス戦争(普仏戦争)に際してフランス政府に1000万ポンドもの借款を供与し、国際金融業者としての地位を確立した。ピアポントは、1871年当時のアメリカの名門ドレクセル銀行を所有するフィラデルフィアのドレクセル一族によって1868年パリに設立された銀行ドレクセル・ハージェスDrexel, Harjes & Co.の経営パートナーとなり、さらに金融事業を拡大した。ドレクセル・ハージェスはその後モルガン・ハージェスMorgan, Harjes & Co.に改称。父ジュニアスが1890年に他界後、1895年J・P・モルガン商会がニューヨーク、フィラデルフィア、ロンドン、パリの四つの同族企業を統合し、ここにピアポントの金融事業は完成する(一般にはこの年をJ・P・モルガン商会の設立年とする)。

 1895年、クリーブランド大統領は金本位制を維持するためJ・P・モルガンとロスチャイルド家からの融資と引き換えに債券引受シンジケートを組織し、1893年以来の不況にあえぐアメリカ経済の安定を図った。この間J・P・モルガンは、アメリカの12の鉄道会社を支配下におき、1901年にA・カーネギー、W・H・ムーアらとUSスチールを創設した。また、鉄道、鉄鋼のほか、石炭、機械、鉱業、公益事業など多くのアメリカ企業への支配権を獲得し、ファースト・ナショナル・バンクと共同で金融支配を強めた。経済不況下の1912年、下院委員会による査察・調査を受けた結果、USスチールを中心とするモルガン財閥は、粗鋼生産の53%、鉄道路線の34%、機械生産の60%を支配するアメリカ屈指の巨大金融資本であるという実態が明らかになった。このように、J・P・モルガンが19世紀後半から20世紀の初めにかけてもっとも力のある銀行の一つとして国内外の金融界で大きな位置を占めるようになったのは、なによりも私企業への融資と国家財政に対する影響力を行使した結果であった。また、鉄道証券や国債の流通業務に携わったこともその要因としてあげられる。

[萩原伸次郎]

銀行法による分割後

1929年に始まった世界大恐慌のさなか、J・P・モルガンの金融独占に対する批判が高まり、1933年銀行法(グラス‐スティーガル法Glass-Steagall Act)が制定され、銀行業と証券業の分離が義務づけられた。それに伴い、1935年J・P・モルガンが商業銀行の機能を引き継ぎ、証券業はモルガン・スタンレーMorgan Stanley & Co.(1998年にモルガン・スタンレー・ディーン・ウィッターと改称、2002年にモルガン・スタンレーの名称に復帰)として分割されることとなった。J・P・モルガンは、1959年にニューヨークの商業銀行ギャランティ・トラストGuaranty Trust Co.と合併し、モルガン・ギャランティ・トラストとなり、1969年には持株会社のJ・P・モルガンが設立された。1989年に会社債の引受け・取引の営業許可を、その翌年には株式引受けの営業許可を獲得して、国内の証券引受市場でのシェアを伸ばした。1997年、増大する年金資産市場を見据えて、アメリカのミューチュアルファンド(小口資金を分散投資する投資信託の一つ)取扱業の大手アメリカン・センチュリーの株式45%を買収した。

[萩原伸次郎]

金融自由化と規制緩和

東西冷戦の終結後、世界市場において金融自由化と規制緩和が一段と進行した。イギリスの金融ビッグ・バンに端を発した金融制度改革は、実体経済への投資にも増して、金融デリバティブ(派生商品)取引の増大をもたらし、ロシア・東欧の経済危機、アジア通貨の暴落などに大きな影響を及ぼした。このような国際的な状況変化のなかで、J・P・モルガンは1988年のメキシコ政府の26億ドルもの対外負債に対する信用供与や、1995年以降危機に陥ったロシア連邦の援助のため、30年賦で25億ドルもの基金を支出するなど、危機的な市場や多くの国に的確な財政建て直しのための援助や勧告を行った。J・P・モルガンはこうした各国への援助・勧告と同時に、国際的な金融再編に機敏に対応するために、銀行・証券・保険の相互参入という方向を強めた。1990年には証券取引の売上げが総売上高の10%を超えないという条件付きではあるが、FRB(連邦準備制度理事会)に証券引受業務を認めさせるなど、グラス‐スティーガル法撤廃に向けた動きを強化した。その結果、1999年10月には金融自由化の実態にあわせて、銀行の証券分野からの収入制限は撤廃され、反トラスト法の目玉であった金融機関の巨大化阻止の機能も消滅することになった。

 J・P・モルガンはこれまで個人資本による工業化の努力や市場経済育成のため、企業、各国政府、諸機関への金融サービス、投資顧問、資金調達など多様な金融業を営んできたが、グラス‐スティーガル法の撤廃によって、預金業務やローンのみならず、株式引受、社債、保険など幅広い金融商品やサービスを提供できるようになった。1999年(合併前)のJ・P・モルガンの総資産は2608億9800万ドル。同年のモルガン・ギャランティ・トラストの総資産は1676億6600万ドル、預金残高は477億1600万ドル。

[萩原伸次郎]

合併とその後の展開

2000年9月、金融機関の規模の追求、総合化が進むなかで、チェース・マンハッタンは1998年に発足したシティグループに対抗して、J・P・モルガンの買収を発表した。一方、世界的な金融再編が激化するなかで、J・P・モルガンは拡大する大衆市場をつかめず、チェース・マンハッタンとの合併に合意して、独立路線の放棄を決定した。こうして2000年末に正式発足した新会社JPモルガン・チェースは、かつて対立してきたロックフェラー財閥とモルガン財閥の金融統合を意味し、チェースが培ったリテールを中心とした幅広い顧客基盤に、モルガンの得意とする投資銀行業務が補完された巨大総合金融機関である。新会社の総資産額は約7150億ドル(2000年末)に上り、シティグループ、バンク・オブ・アメリカに迫る規模となった。

[萩原伸次郎]

その後の動き

2004年6月に当時全米第6位の金融機関バンク・ワンBank One Corp.と合併。さらに、2008年3月にサブプライムローン関連で実質破綻(はたん)したアメリカの証券会社ベアー・スターンズを救済買収。同年9月には、住宅ローンを手がけるアメリカ貯蓄貸付組合(S&L)最大手のワシントン・ミューチュアル破綻に伴い、同社の銀行業務を19億ドルで買収した。ワシントン・ミューチュアルの預金業務を引き継ぐことにより、JPモルガン・チェースの預金量は9000億ドルを超えた。2012年末時点で、総資産は2兆3591億ドル、預金量は1兆1936億ドルまで増加している。

[編集部]

『ロン・チャーナウ著、青木栄一訳『モルガン家――金融帝国の盛衰』上下(1993・日本経済新聞社)』


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