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Konrad IV KonradIV

世界大百科事典内のKonrad IVの言及

【シュタウフェン朝】より

… 1208年,フィリップが私怨によって暗殺され,中心を失ったシュタウフェン家の勢力を再び興したのは,フリードリヒ2世であった。彼の壮大な政治理念は,イタリアを中心とする地中海帝国の形成にあり,ドイツの統治は長子ハインリヒ7世,次子コンラート4世Konrad IV(ドイツ国王,在位1237‐54)にまかせた。フリードリヒの命とりになったのは教皇との対立であり,異端の烙印をおされ,教会の迫害者として破門された彼に対抗して,ドイツでは1246年ハインリヒ・ラスペが,1247年にはウィルヘルム・フォン・ホラントWilhelm von Hollandが国王に選出された。…

【フリードリヒ[2世]】より

…25年第2の妃イザベッラとの結婚を通じてエルサレム王国を取得,29年にはエジプトのアイユーブ朝スルタン,カーミルとの外交協約により同地への支配権を実現する。爾来,彼の政治的関心の重点はイタリアに集中,ドイツへは35年と37年に数ヵ月ずつ,しかも息子ハインリヒ7世の反抗を断ち,次子コンラート4世Konrad IVを王とするために赴いただけで,そこでは直接統治を断念して,領邦諸侯に国王大権を大幅に譲渡した。 一方,シチリア王国では,すでにノルマン諸王の打ち立てた支配伝統をいっそう発展させて,当時としては最も先進的な集権的官僚制統治体制を樹立,31年には中世ヨーロッパ初の国法典《皇帝の書Liber Augustalis》を公布した。…

※「Konrad IV」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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