Lueger,K.(英語表記)LuegerK

世界大百科事典(旧版)内のLueger,K.の言及

【ウィーン】より

…しかし手工業者をも含めたウィーンの市民は必ずしも心服せず,88年にはこの新たな領邦君主に反乱したが,アルブレヒト1世によって武力弾圧され,96年には帝国都市としての自由を剝奪される。ハプスブルク家のウィーン市に対する権力行使は,たとえば600年後の1897年キリスト教社会党員カール・ルエガーKarl Luegerが市長に選ばれたとき,その承認を拒否した例にも示されている。このようにウィーンの政治的立場は弱体化したが,しかし経済的にはハプスブルクの版図の中心として興隆の道をたどった。…

【オーストリア】より

…この状況のなかで医師のV.アードラーは同志とはかってオーストリア社会民主党を創立した。またウィーンはキリスト教社会党の市長ルエガーKarl Lueger(1844‐1910)の下で近代的大都市に発展した。 1890年ころ文学の領域で転換が生じ,ホフマンスタールやシュニッツラーらの〈世紀末世界Fin de siècle‐welt〉が生み出される。…

※「Lueger,K.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android