よど号事件(読み)よどごうじけん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「よど号事件」の意味・わかりやすい解説

よど号事件
よどごうじけん

日本で発生した最初のハイジャック事件。

 1970年(昭和45)3月31日、羽田から福岡に向かっていた日本航空351便「よど号」が富士山上空を飛行中、「北朝鮮行き」を要求した田宮高麿(たみやたかまろ)(1943―1995)ら赤軍派9名によってハイジャックされた。飛行機は、給油名目福岡空港に着陸し、ここで女性、老人、子供23人を解放した後、同日のうちに北朝鮮に向けて離陸した。しかし、着陸したのは平壌(ピョンヤン)空港に偽装されたソウル金浦(きんぽ/キムポ)空港であった。韓国当局の誘導によるとされるが、実行犯との交渉の結果、4月3日に乗客、乗務員は解放された。かわりに、山村新治郎(1933―1992)運輸政務次官らが人質になった。金浦空港を離陸した「よど号」は、朝鮮民主主義人民共和国平壌近郊の美林(ミリム)空港に着陸した。実行犯は北朝鮮に亡命し、翌4日、山村ら人質と機体は日本側に返還された。実行犯は国際刑事警察機構(ICPO)を通じて国外移送目的略取などの罪で国際手配された。この事件をきっかけに、同年5月、「航空機の強取等の処罰に関する法律」(昭和45年法律第68号、いわゆるハイジャック処罰法)が制定された。

 「よど号」事件の背景には、赤軍派の組織弱体化がある。1969年11月には、山梨県の大菩薩峠(だいぼさつとうげ)で赤軍派53名が逮捕されていた。これに伴い、赤軍派は新たに世界同時革命論を打ち立て、労働者国家に武装根拠地を建設することにして、その根拠地に北朝鮮を選んだのである。

 北朝鮮に残った実行犯9名は平壌郊外の「日本人村」に住居を与えられ、日本人の妻や子供たちとともに生活していたが、うち2名が北朝鮮国外に出た際に日本当局によって逮捕されたほか(その後2011年までに2名とも死亡)、3名が死亡し、日本人妻も大多数が帰国した。子供も全員「帰国」したため、2015年2月時点では実行犯4名、日本人妻2名が北朝鮮に残っているだけである。なお、実行犯とその妻の一部は、ヨーロッパにおける日本人拉致(らち)事件に関与したとされ、ICPOを通じて国際手配されている。

[武井 一 2015年10月20日]

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知恵蔵 「よど号事件」の解説

よど号事件

1970年3月31日、世界同時革命を目指す赤軍派のメンバー9人が、羽田発福岡行きの日航機「よど号」を乗っ取った国内初のハイジャック事件。福岡空港に着陸後、韓国・金浦空港で乗客釈放の代わりに故山村新治郎運輸政務次官(当時)を人質に取り北朝鮮に渡った。実行メンバーのうち北朝鮮に残るのは4人。3人は死亡(うち1人は未確認)し、2人は帰国して逮捕され、有罪判決を受けた。有本恵子さん拉致事件にからんで警察当局は2002年9月25日、結婚目的誘拐容疑で北朝鮮にいるメンバーの逮捕状を取った。よど号の機長は06年8月、83歳で死去した。

(緒方健二 朝日新聞記者 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

世界大百科事典(旧版)内のよど号事件の言及

【ハイジャック】より

…また,60年代末以降には,パレスティナ・ゲリラによる事件が頻発するようになった。日本では,70年3月,日本赤軍派の9人が名古屋上空で日本航空の旅客機(日航機)をハイジャックし,朝鮮民主主義人民共和国の平壌に逃亡した(よど号事件)。73年7月には,日航機がアムステルダム空港離陸後に,5人のパレスティナ・ゲリラにハイジャックされ,ドバイ空港経由でリビアのベンガジ空港に着陸し,犯人たちは乗客,乗員全員を解放後,機体を爆破し,逮捕された(ドバイ事件)。…

※「よど号事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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