エルトン・ジョン
えるとんじょん
Elton John
(1947― )
イギリスのポピュラー歌手、ピアノ奏者、ソングライター。イングランドのミドルセックス州ピナー生まれ。父はトランペット奏者。4歳からピアノを学び、12歳でコンサートに出演。1958年からロンドンの王立音楽アカデミーに通う。61年リズム・アンド・ブルースのグループであるブルーソロジーに参加。65年からグループのために歌曲をつくる。67年に作詞家バーニー・トーピン(1950年生まれ)と組む。68年に歌手として初録音。70年秋から71年にかけて『僕の歌は君の歌』が世界的にヒットしてスターになった。75年の映画『トミー』に出演。94年のディズニー映画『ライオン・キング』の主題歌を作詞家ティム・ライスとともに書いて好評。97年9月にダイアナ元皇太子妃(8月にパリで事故死)の葬儀で74年作品『キャンドル・イン・ザ・ウィンド』を新歌詞で歌い、そのCD売上げは3000万枚以上の新記録。98年ナイト爵位を授与される。95年21年ぶりに来日公演、98年にはビリー・ジョエルと来日ジョイント・コンサートを行った。
[青木 啓]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
エルトン・ジョン
英国のミュージシャン、シンガー・ソングライター。1947年3月25日、英国ミドルセックス州ピンナー生まれ。出生時の本名はReginald Kenneth Dwight。4歳の頃よりピアノを始め頭角を現す。67年、作詞家バーニー・トーピンと出会いソングライター・チームを結成。半年後、エルトン・ジョンに改名。68年、シングル「I’ve Been Loving You」でデビュー。70年の「Your Song(僕の歌は君の歌)」が大ヒットし、72年のアルバム「ホンキー・シャトー」 に始まるアルバム7作品が全米チャート連続1位を獲得。97年、死去したダイアナ妃へ捧げた「キャンドル・イン・ザ・ウインド'97」が、2014年3月現在、シングル史上最高のセールスを記録。98年にはナイトの称号を叙勲される。2005年、同性のデービッド・ファーニッシュとパートナー生活に入り、代理母出産で2児をもうける。14年3月の法改正で同性婚が合法化したことを受け、結婚することを表明した。
出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報
世界大百科事典(旧版)内のエルトン・ジョンの言及
【ジョン】より
…イギリスのポップ・シンガー,ピアニスト,作曲家。少年の頃から小さな酒場のピアニストとして働きながら音楽学校に通い,卒業後はブルース歌手の率いるバンドでオルガンを弾いた。作詞家を志すB.トーピンと知り合って作曲に励み,合作した《レディ・サマンサLady Samantha》をジョンが歌って,1969年にシングル盤で発売。続いて初のLP《エンプティ・スカイEmpty Sky》を出して名声を獲得した。初めは,ピアノを弾きながら抒情的に歌うスタイルで,作品も格調の高いものが特徴だったが,たびたびアメリカに公演してファン層が広がるにつれ,作曲も大衆の好みに合わせる傾向が強まり,コンサートでの派手なアクションや奇抜な服装を売物とするようになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」