バトラー(Judith Butler)(読み)ばとらー(英語表記)Judith Butler

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

バトラー(Judith Butler)
ばとらー
Judith Butler
(1956― )

アメリカのフェミニズム理論セクシュアリティ研究者。1984年エール大学で哲学の博士号を取得した後、ヘーゲル哲学を論じた『欲望主体』(1987)などを執筆し、1989年の『ジェンダー・トラブル』で、フーコーやデリダらの影響を受けたフェミニズム理論を展開した。同書は、自然な生物学的性差sexと思われているものは性差別的・異性愛中心主義的な社会規範によって構築された社会的性差genderであって、フェミニズムは、「女性」という主体、あるいはカテゴリーに安易にその政治や理論の根拠を求めてはならず、むしろ、セックス、ジェンダー、そしてセクシュアリティの分類や定義、組合せを支配する社会的規範を批判的に再考し、その新たな組合せの可能性を探るべきだと主張して、1990年代以降のフェミニズム理論・クイア理論に大きな影響を与えた。

 バトラーによれば、自然な生物学的性差がジェンダーを根拠づけるのではなく、逆に、二次元論的なジェンダー規範がセックスを生み出し、あたかも自然で不変の性差という根拠に基づくかのようにふるまっているにすぎない。社会的・歴史的に構築された規範がそれ自身を繰り返し引用しつつ不変の本質として実体化するこの作用を、彼女はジョン・L・オースティンの社会言語論を援用して「パフォーマティビティ(行為遂行性)」とよぶ。たとえば「女性」というジェンダー化された主体は、所与のものではなくパフォーマティブに構築されたものであり、だからこそつねに新しい構築の可能性をもつのである。ジェンダーのパフォーマティビティというこの議論は、(1)生物学的な所与とみなされてきたセックスあるいは身体それ自体が、社会的に構築され実体化されたものであって、決定されたものではないと論じる点、そして、(2)フェミニズムの政治は、「女性」という自律的主体の解放を目ざすのではなく、主体そのものが既存の社会規範を経由して構築されているという認識に基づき、その規範を撹乱(かくらん)する方法を探すべきだとする点において、従来のジェンダーの政治理論から大きく一歩を踏み出すものであった。

 次著『問題なのは肉体だ』(1993)において、バトラーは身体のパフォーマティブな構築というテーマを引き継いで、精神分析理論を参照しつつセックスとジェンダーのみならず人種民族といった視点も取り入れて、物質性・身体性がいかに社会的・歴史的に構築されてきたのかについての考察を掘り下げ、さらに、『触発する言葉』(1997)では、「エージェンシー(行為体)」という概念を中心においた社会変革の理論を提示した。「エージェンシー」とは、既存の社会的、歴史的規範の引用によってパフォーマティブに構築される点で自律的主体とは異なるものの、引用によってその存在のあり方を決定されず、引用の反復を通じて規範をずらし変革する力をもつとされる。この概念によってバトラーは、ポスト構造主義的主体批判を継承しつつも、社会決定論的な閉鎖性に陥らない、ラディカルな文化政治理論を立ち上げることを目ざした。

[清水晶子]

『竹村和子訳『ジェンダートラブル――フェミニズムとアイデンティティの攪乱』(1999・青土社)』『ジュディス・バトラー著、竹村和子訳『アンティゴネーの主張――問い直される親族関係』(2002・青土社)』『竹村和子訳『触発する言葉――言語・権力・行為体』(2004・岩波書店)』『Bodies That Matter; On the Discursive Limits of “Sex”(1993, Routledge, New York)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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