三木谷浩史(読み)みきたにひろし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三木谷浩史」の意味・わかりやすい解説

三木谷浩史
みきたにひろし
(1965― )

日本最大級のオンライン・ショッピングモール楽天市場」を運営する楽天株式会社の代表取締役会長兼社長。

 1965年(昭和40)3月11日、兵庫県生まれ。1988年に一橋大学卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行、みずほコーポレート銀行)に入行。アメリカ・ハーバード大学留学し、1993年(平成5)に経営学修士号(MBA)を取得して帰国。「一度きりの人生で悔いを残したくない」と起業を決意し、1995年11月に日本興業銀行を退職。1996年2月、株式会社クリムゾングループを設立。1997年2月に楽天株式会社の前身である株式会社エム・ディー・エムを創業し代表取締役に就任織田信長が積極的に進めたことで知られる「楽市・楽座」から命名したという「楽天市場」を設立。同年5月、13店舗で営業を開始した楽天市場を、わずか1年で出店数200を超える日本最大級のオンライン・ショッピングモールに成長させた。楽天市場は自ら商品を販売するのではなく、ショッピングモールとして必要な機能をRMS(楽天マーチャントサーバー)に実装し、それを出店者に提供する方式をとっている。2000年4月には株式の店頭公開を果たす。2008年現在、楽天市場には2万6000を超える出店があり、物販だけではなく、トラベル、ブックス、フリーマーケットなど多岐に渡る商品の販売を手がけるサイトとなっている。

 2001年(平成13)5月に国税庁が発表した2000年分の高額納税者番付によれば、約93億円の創業者利益を上げ、納税者番付2位にランクインした。一方で、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ所属ヴィッセル神戸の代表や、2005年シーズンからプロ野球・パシフィックリーグに新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスの球団会長も務める。2005年に東京放送(TBS)の株式を大量取得し、経営統合を迫ったが結局果たせず、2009年、TBSに保有株の買取りを請求することで決着した。これによる楽天の損失は650億円に上るといわれる。

[中島由弘]

『船橋洋一著『創造的破壊系 日本発世界の経営者たち』(2000・朝日新聞社)』『堺屋太一著『明日を企てる12人』(2002・朝日新聞社)』

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知恵蔵 「三木谷浩史」の解説

三木谷浩史

日本の実業家。1965年3月、兵庫県神戸市生まれ。楽天株式会社の創業者であり、代表取締役会長兼社長。コボ(Kobo lnc.)社取締役、楽天ブックス会長などを務め、自身らが提唱した経済団体、新経済連盟の代表理事や内閣の産業競争力会議の議員など公職にも就いている。
88年一橋大学を卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。社内留学制度でハーバード・ビジネススクールに学び、93年にMBAを取得して帰国。この留学で起業を考えるようになったという。95年の阪神・淡路大震災に衝撃を受け、同行を退職して起業。97年に現在の楽天となる企業を創業、インターネット・ショッピングモール「楽天市場」を開設した。当時すでにインターネット・ショッピングモールは存在していたが、出店のハードルが高く、十分な店舗数や集客が得られていなかった。楽天はショップ開設の手続きを簡略化したり、販売商品の情報更新を行うソフトウエアを提供したり、コンサルタント担当者を置くなどしたりして、ネットショップ運営の容易化を図り、多数の出店者を獲得することに成功。2013年12月末には、会員数約9千万人、出店数4万店舗、取扱高5兆円の国内最大の規模に成長した。M&A(企業合併・買収)にも積極的で、証券・金融などに事業を広げ、日本有数の資産家としても知られる。野球の東北楽天ゴールデンイーグルスやサッカーのヴィッセル神戸を、関連各社の傘下に収めオーナーを務める。
14年には、電子商取引事業や電子書籍事業などを通じ、フランスの地域経済や日仏間の文化・経済交流促進へ貢献したとして、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ(騎士)が授与された。

(金谷俊秀  ライター / 2014年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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