精選版 日本国語大辞典 「六角紫水」の意味・読み・例文・類語
ろっかく‐しすい【六角紫水】
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漆芸家。広島県生れ。広島師範学校を経て東京美術学校へ進む。1894年同校漆工科の第1回卒業生。同年12月より助教授となった。96年から古社寺保存計画調査官となって古美術を研究したが,1904年岡倉天心とともに渡米,ボストン美術館,メトロポリタン美術館の東洋美術品整理にあたった。ヨーロッパ,ロシア,中国を経て帰国し,東京美術学校へ復職,のちに教授となったが,実作のかたわら国内外の古美術研究にあたり,ことに朝鮮楽浪の発掘調査にたずさわって楽浪漆器の研究に成果をあげ,32年には《東洋漆工史》を著した。作家活動としては1925年のパリ万国博覧会で《抹金鏤(まつきんる)蓬萊山厨子棚》が名誉大賞を得,30年の第11回帝展では《嘵天吼号の図漆器手箱》が帝国美術院賞を受けた。またレーキ顔料を用いた彩漆を完成し,漆工の近代化の道を開いた功績は大きい。
執筆者:郷家 忠臣
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漆芸作家。広島県佐伯(さえき)郡大柿(おおがき)村(現広島県江田島(えたじま)市)生まれ。旧姓藤岡、本名注多良(ちゅうたろう)。1893年(明治26)東京美術学校蒔絵(まきえ)科卒業後、六角家の養子になり、母校の助教授に任ぜられ、1944年(昭和19)の退官まで教授として漆工界に君臨した。1904年(明治37)岡倉天心とともに欧米を視察し、のち朝鮮の楽浪(らくろう)遺跡発掘に携わり、出土漆器の研究を行い、あわせて古来の漆工品を研究、『東洋漆工史』(1932)を著す。また化学塗料、色漆(いろうるし)の研究、アルマイトへの漆の応用などにも業績を残した。41年帝国芸術院会員に推された。
[郷家忠臣]
《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...
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