六角紫水(読み)ろっかくしすい

精選版 日本国語大辞典 「六角紫水」の意味・読み・例文・類語

ろっかく‐しすい【六角紫水】

漆芸家。広島県出身本名注多良。東京美術学校卒。岡倉天心に従い、国内各地の古美術調査・朝鮮楽浪古墳発掘漆工品の調査・修理に参画し、漆工芸技法、塗料・色漆の研究をし、明治以降の漆工界に大いに貢献した。帝国芸術院会員。東京美術学校教授。慶応三~昭和二五年(一八六七‐一九五〇

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デジタル大辞泉 「六角紫水」の意味・読み・例文・類語

ろっかく‐しすい〔ロクカク‐〕【六角紫水】

[1867~1950]漆芸家。広島の生まれ。本名、注多良ちゅうたろう古来の漆工技術を研究するとともに、白漆・色漆の改良に努めた。

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改訂新版 世界大百科事典 「六角紫水」の意味・わかりやすい解説

六角紫水 (ろっかくしすい)
生没年:1867-1950(慶応3-昭和25)

漆芸家。広島県生れ。広島師範学校を経て東京美術学校へ進む。1894年同校漆工科の第1回卒業生。同年12月より助教授となった。96年から古社寺保存計画調査官となって古美術を研究したが,1904年岡倉天心とともに渡米ボストン美術館メトロポリタン美術館の東洋美術品整理にあたった。ヨーロッパ,ロシア,中国を経て帰国し,東京美術学校へ復職,のちに教授となったが,実作のかたわら国内外の古美術研究にあたり,ことに朝鮮楽浪の発掘調査にたずさわって楽浪漆器の研究に成果をあげ,32年には《東洋漆工史》を著した。作家活動としては1925年のパリ万国博覧会で《抹金鏤(まつきんる)蓬萊山厨子棚》が名誉大賞を得,30年の第11回帝展では《嘵天吼号の図漆器手箱》が帝国美術院賞を受けた。またレーキ顔料を用いた彩漆を完成し,漆工の近代化の道を開いた功績は大きい。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「六角紫水」の意味・わかりやすい解説

六角紫水
ろっかくしすい

[生]慶応3(1867).3.20. 広島
[没]1950.4.15. 東京
漆芸家。旧姓藤岡,本名注多良。 1893年東京美術学校漆工科第1回の卒業生。同年より同校助教授となり,一時辞職したが,前後 32年間にわたり母校後進の指導に尽した。 96~98年古社寺保存計画調査官として岡倉天心と国内各地を回り,1904年天心らと渡米。ボストン美術館東洋部,のちメトロポリタン美術館に勤務,08年ロンドン,パリ,ドイツ,ロシア,清国を経て帰国。帰国後は楽浪漆器,アルマイト漆器などの研究に力を注ぎ,特に白漆の完成に尽し漆工界に大きな業績を残した。 27年帝展審査員,41年帝国芸術院会員となった。主要作品『岩に鶺鴒図額』 (1904) ,『暁天吼号之図漆手箱』 (30) ,『銀平文不動尊像軸盆』 (43) ,『芦刈図刀筆硯箱』 (47) 。

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百科事典マイペディア 「六角紫水」の意味・わかりやすい解説

六角紫水【ろっかくしすい】

漆芸家。本名注多良。広島県生れ。1894年東京美術学校漆工科の第1回卒業生。母校で教鞭をとり,1904年―1908年には欧米を視察し,また朝鮮楽浪の発掘に携わって出土漆器を調査した。著書《東洋漆工史》を著したほか,作家活動では1925年のパリ万国博覧会で《抹金鏤蓬莱山厨子棚》が名誉大賞を受賞。漆工の近代化への道を開いた。
→関連項目帝国工芸会松田権六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「六角紫水」の意味・わかりやすい解説

六角紫水
ろっかくしすい
(1867―1950)

漆芸作家。広島県佐伯(さえき)郡大柿(おおがき)村(現広島県江田島(えたじま)市)生まれ。旧姓藤岡、本名注多良(ちゅうたろう)。1893年(明治26)東京美術学校蒔絵(まきえ)科卒業後、六角家の養子になり、母校の助教授に任ぜられ、1944年(昭和19)の退官まで教授として漆工界に君臨した。1904年(明治37)岡倉天心とともに欧米を視察し、のち朝鮮の楽浪(らくろう)遺跡発掘に携わり、出土漆器の研究を行い、あわせて古来の漆工品を研究、『東洋漆工史』(1932)を著す。また化学塗料、色漆(いろうるし)の研究、アルマイトへの漆の応用などにも業績を残した。41年帝国芸術院会員に推された。

[郷家忠臣]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「六角紫水」の解説

六角紫水 ろっかく-しすい

1867-1950 明治-昭和時代の漆芸家。
慶応3年3月20日生まれ。岡倉天心らと渡米し,ボストン美術館などにつとめる。大正5年母校東京美術学校(現東京芸大)の教授。実作のほか朝鮮の楽浪(らくろう)漆器,彩漆の製法を研究した。昭和16年芸術院会員。昭和25年4月15日死去。83歳。安芸(あき)(広島県)出身。旧姓は藤岡。名は注多良。著作に「東洋漆工史」。

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