内田篤人(読み)うちだあつと

知恵蔵 「内田篤人」の解説

内田篤人

日本のプロサッカー選手。1988年3月27日生まれ、静岡県田方郡函南町出身。
身長176センチメートル、体重62キログラム。ポジションディフェンダー(右サイドバック)。
県立清水東高校から2006年にJ1鹿島アントラーズ入団直後からレギュラーを獲得し、07~09年の史上初Jリーグ3連覇及び07~08年の天皇杯2連覇に貢献した。08年、北京オリンピック出場し、日本代表にも定着。J1での成績は124試合出場、4得点。08年と09年に Jリーグベストイレブンに選出される。
10年FIFAワールドカップ南アフリカ大会は最終メンバーに選出されるが、直前に原因不明の吐き気に襲われて体調を崩し、出場の機会はなかった。ワールドカップ後の7月1日、ドイツ1部リーグ、ブンデスリーガの強豪シャルケ04移籍。背番号22。契約期間は、15年6月30日までだが、17年まで2年延長する見通し(14年7月現在)。
10~11年、12~13年、13~14年シーズンのUEFAチャンピオンズリーグに出場し、移籍後1年目にして日本選手として初の準決勝ピッチに立ち、ベスト4の結果を残した。11年、AFCアジアカップ優勝、DFBポカール優勝。12~13年シーズン終了時点で、ブンデスリーガでの成績は85試合出場1得点、日本代表では65試合出場1得点。
東日本大震災発生直後の11年3月12日、シャルケ対フランクフルト戦に当たり、内田は試合前に「日本の皆へ 少しでも多くの命が救われますように 共に生きよう!」とのメッセージを日本語とドイツ語で手書きしたユニフォームを用意した。チームメイトでゴールキーパーのノイアー選手は、内田が試合に勝てばそのユニフォームを着るつもりであるのを知り、同点で迎えた試合の終了間際に自ら飛び出して前線へ直接ロングボールを蹴って決勝点をアシスト。試合終了後に、内田がメッセージを書いたユニフォームを着てファンにあいさつをする様子が、日本でもテレビ中継され、内田の人柄やノイアーとの友情が感動を呼んだ。
著書・写真集に『僕は自分が見たことしか信じない』(幻冬舎、11年)。甘い風貌から女性の人気が高く、毎年発売されているカレンダーは、アイドルなどのカレンダーと並び売上ランキング上位となるほど。「ビブリア古書堂の事件手帖」「海の上の診療所」などのドラマに出演の経験もある。
14年FIFAワールドカップブラジル大会では、1次リーグの3試合全てにフル出場を果たす。日本代表戦に出場するためアジアとヨーロッパを往復する過酷な状況で、右大腿裏の肉離れや右膝の故障などけがに苦しみ、12年秋ごろから日本代表引退を口にしており、進退が注目されている。

(葛西奈津子  フリーランスライター / 2014年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「内田篤人」の意味・わかりやすい解説

内田篤人
うちだあつと
(1988― )

プロサッカー選手。ディフェンダー(DF)。3月27日、静岡県生まれ。清水東高―鹿島アントラーズ―シャルケ04(ドイツ)。Jリーグ初出場は2006年(平成18)3月5日、サンフレッチェ広島戦。国際Aマッチ初出場は2008年1月26日、チリ戦。2007年U20(20歳以下)ワールドカップ・カナダ大会、2008年U23日本代表としてオリンピック北京大会に出場した。2010年ワールドカップ南アフリカ大会、2014年ワールドカップ・ブラジル大会の日本代表選手。

[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

知恵蔵mini 「内田篤人」の解説

内田篤人

日本のプロサッカー選手。身長176センチメートル、体重67キログラム。ポジションはディフェンダー(DF)。利き足は右。1988年3月27日、静岡県生まれ。静岡県立清水東高等学校を卒業後、2006年に鹿島アントラーズへ加入し、07から09年のJ1リーグ3連覇などに貢献した。10年7月、シャルケ04(ドイツ)へ移籍。右サイドバックとして活躍し、10-11年シーズンには欧州最高峰のUEFAチャンピオンズリーグで4強入りを果たした。その後、1.FCウニオン・ベルリン(ドイツ)を経て、18年に鹿島アントラーズに復帰した。日本代表ではW杯メンバーに2大会連続で選出され、14年ブラジル大会は全試合に出場した。15年の右膝手術後はけがに苦しみ、20年8月、現役引退を発表した。

(2020-8-25)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内田篤人」の解説

内田篤人 うちだ-あつと

1988- 平成時代のプロサッカー選手。
昭和63年3月27日生まれ。ポジションはDF(右サイドバック)。平成18年鹿島アントラーズに入団。同年サンフレッチェ広島戦でJリーグデビュー。国際Aマッチ初出場は20年のキリンチャレンジカップのチリ戦。同年北京五輪代表。21年には2年連続2度目のJリーグ・ベストイレブン。22年FIFAワールドカップ(南アフリカ大会)の日本代表にえらばれる。同年ドイツ1部リーグのシャルケ04に移籍。26年FIFAワールドカップ(ブラジル大会)の日本代表にえらばれる。静岡県出身。清水東高卒。

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