土居通夫(読み)どい・みちお

朝日日本歴史人物事典 「土居通夫」の解説

土居通夫

没年:大正6.9.9(1917)
生年天保8.4.21(1837.5.25)
明治大正期の実業家伊予国(愛媛県)宇和島藩士大塚南平祐紀,志津子の6男。幼名万之助,元服して彦六。4歳のとき同藩士村松清武の養子となったが,23歳で養家を去り,父の母方の姓土居を名乗った。少年時代には藩校明倫館で漢学を学び,窪田派田宮流の剣術を習得。慶応1(1865)年勤皇を志して脱藩,土肥真一と改名して大坂に出,高利貸高池屋三郎兵衛家に奉公しながら,勤皇運動にかかわる薩摩藩士田中幸助(のち中井弘)らと交わる。鳥羽・伏見の戦に際し,後藤象二郎配下で活躍,在坂宇和島藩のため糧米確保などの働きがあった功を認められ,帰藩を許された。 王政復古後,大阪鎮台長官となった宇和島藩主伊達宗城に従うも,ほどなく外国事務局大阪運上所に勤務,これを統轄していた五代友厚の知遇を得,明治2(1869)年には大阪府権少参事となった。同5年司法省に出仕,兵庫裁判長,大阪上等裁判長,大阪控訴裁判長などを歴任,同17年退官までに井上馨,伊藤博文,大隈重信,大久保利通らと交わり政界人脈を築くと同時に,五代友厚,住友家,鴻池家ら大阪財界ともつながりを持った。 裁判官退官後,鴻池善右衛門家の顧問となり,家憲を制定するなど同家の家政改革に尽力するとともに,鴻池家が関係していた諸事業に参画。すなわち同21年大阪電灯会社社長になったのを皮切りに,日本硝子製造,長崎電灯,日本生命,大阪毎日新聞,明治紡績,大阪実業銀行,阪鶴鉄道,大阪馬車鉄道,宇治川電気,大阪染織,浪速電車軌道,大阪土地建物,大阪貯金銀行,京阪電鉄など多くの会社の重役となった。同27年衆院議員。同28年に大阪商業会議所会頭となり,以後死亡するまで22年間にわたってその職を務めた。そのほか堂島米穀取引所理事長,大阪銀行取引所理事長,日本電気協会会長,大阪実業協会会長などの要職を歴任し,明治中後期における大阪財界の最有力指導者として活躍した。

(宮本又郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土居通夫」の解説

土居通夫 どい-みちお

1837-1917 明治-大正時代の実業家。
天保(てんぽう)8年4月21日生まれ。伊予(いよ)(愛媛県)宇和島藩士の子。維新後,司法官をへて明治17年鴻池(こうのいけ)家の顧問となり財界にはいる。以後大阪電灯,長崎電灯,京阪電鉄などの社長を歴任した。27年衆議院議員。28年大阪商業会議所会頭。大正6年9月9日死去。81歳。本姓は大塚。通称は保太郎,彦六。俳号は無腸(むちょう)。

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