太田 郁郎(読み)オオタ イクオ

20世紀日本人名事典 「太田 郁郎」の解説

太田 郁郎
オオタ イクオ

大正期の歌人



生年
明治29(1896)年

没年
大正13(1924)年5月30日

出身地
岡山県

学歴〔年〕
京都三中卒

経歴
京都第三中学校を卒業後、帰郷して岡山県邑久郡玉津尋常高等小学校の代用教員を1年間務める。のち岡山県犬島実務学校に転じ、傍ら前田夕暮の「詩歌」に投稿。在勤中に煙害をうたった歌集「毒煙」を出版する。大正8年退職し、同年5月大阪朝日新聞の岡山通信部の記者となり、11月結婚。10年小野肇と共に岡山歌壇の機関誌とも言える短歌雑誌「だいだい」を創刊、若山牧水ら有名歌人が客員投稿した。同年7月大阪共同出版社に就職して上阪するが、11年岡山に帰り中国民報社(山陽新聞の前身)に入社、記者となる。一方、休刊していた「だいだい」を復刊する。以後、13年5月号(通巻13号)まで発行して結核のため死去没後の「だいだい」編集はアララギの上代皓三(石黒淳)が引き継いだ。この間、豊かな感性と鋭いセンスに恵まれ、生活的・現実的な歌を尾上柴舟の「水甕誌上に発表。また死の直前に病中吟詠200首を収めた歌集「崩るる音」を出版。夭逝したため歌人として大成できなかったが、大正末期の岡山歌壇に大きな足跡を残した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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