柳家小さん(読み)やなぎやこさん

精選版 日本国語大辞典 「柳家小さん」の意味・読み・例文・類語

やなぎや‐こさん【柳家小さん】

落語家。(三代)本名豊島銀之助。常磐津(ときわず)太夫から初代柳亭燕枝、二代目小さんの弟子となり、明治三〇年(一八九七)三代目を襲名。「らくだ」「にらみ返し」などを得意とし、名人といわれた。安政四年~昭和五年(一八五七‐一九三〇

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デジタル大辞泉 「柳家小さん」の意味・読み・例文・類語

やなぎや‐こさん【柳家小さん】

落語家。
(3世)[1856~1930]江戸の人。本名、豊島銀之助。「らくだ」「うどん屋」などの上方落語を東京に移す。夏目漱石が名人と賞賛したことでも有名。
(4世)[1888~1947]東京の生まれ。本名、平山菊松。「長屋の花見」「湯屋番」「ろくろ首」などを得意とした。
(5世)[1915~2002]長野の生まれ。本名、小林盛夫。芸術祭奨励賞受賞。人間国宝。「親子酒」「宿屋の富」「粗忽そこつ長屋」などを得意とした。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「柳家小さん」の意味・わかりやすい解説

柳家小さん
やなぎやこさん

落語家。

[関山和夫]

初代

生没年不詳。初代春風亭柳枝(しゅんぷうていりゅうし)門下。音曲噺(おんぎょくばなし)、人情噺を得意とした。晩年、4代目朝寝坊むらく襲名。

[関山和夫]

2代

(1849―98)本名大藤楽三郎(おおふじらくさぶろう)。初代柳亭燕枝(りゅうていえんし)に入門し、燕花(えんか)、燕静(えんせい)、燕寿(えんじゅ)から2代目小さんとなり、のちに禽語楼(きんごろう)小さんと称した。滑稽(こっけい)噺をもって明治中期に活躍。

[関山和夫]

3代

(1857―1930)本名豊島(としま)銀之助。初め常磐津(ときわず)の太夫(たゆう)で家寿太夫。落語に転じて初代柳亭燕枝に入門し燕花。のち4代目都々逸坊扇歌(どどいつぼうせんか)門人となって都川(みやこがわ)歌太郎。さらに2代目小さん門下に移って小三治から1897年(明治30)に3代目を襲名。『うどん屋』『らくだ』『にらみ返し』など上方(かみがた)落語を多数東京に移し、名人とうたわれた。第一次落語研究会創始者の一人で、優れた人格者でもあった。

[関山和夫]

4代

(1888―1947)本名平山菊松。3代目小さんに入門し、小菊、小三治、蝶花楼馬楽(ちょうかろうばらく)を経て1928年(昭和3)に4代目を襲名。『ろくろ首』『長屋の花見』など名高座が好評。

[関山和夫]

5代

(1915―2002)本名小林盛夫(もりお)。4代目小さんに入門して栗之助(くりのすけ)、小きん、小三治を経て1950年(昭和25)に5代目を襲名。72~96年落語協会会長。『三軒長屋』『長屋の花見』『らくだ』など滑稽噺を得意とする昭和の大型落語家。1995年(平成7)落語界初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。

[関山和夫]

6代

(1947― )本名小堀義弘(よしひろ)。5代目小さんの長男。父である小さんに入門し、小太郎、小ゑん、三語楼(さんごろう)を経て2006年(平成18)に6代目を襲名。

[関山和夫]

『『柳家小さん集』上下(1966、67・青蛙房)』『興津要編『柳家小さん芸談・食談・粋談』(1975・大和書房)』『『咄も剣も自然体』(1994・東京新聞出版局)』『CD Book『五代目柳家小さん落語全集』(2000・小学館)』

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改訂新版 世界大百科事典 「柳家小さん」の意味・わかりやすい解説

柳家小さん (やなぎやこさん)

落語家。(1)初代 初代春風亭柳枝(りゆうし)門下。生没年不詳。音曲(おんぎよく)噺,人情噺の名手。黒アバタの醜男なので,逆にやさしい女のような名をつけたといわれる。のちに4代むらくを襲名した。(2)2代(1850-98・嘉永3-明治31) 本名大藤楽三郎(おおふじらくさぶろう)。初代柳亭燕枝(りゆうていえんし)門下。燕勢,燕寿を経て襲名。3代三遊亭円遊と並ぶ滑稽噺の名手として明治中期の東京落語界で人気を博した。晩年は禽語楼(きんごろう)小さんと改名。得意は《猫久》。(3)3代(1856-1930・安政3-昭和5) 本名豊島(としま)銀之助。常磐津語りから落語界に転じ,音曲師の4代目都々一坊(どどいつぼう)扇歌門下で歌太郎と称した。のちに2代小さん門に移り,燕歌,小三治を経て襲名。浅薄な滑稽噺に人情噺の人物描写の技法を導入し,落語を高度な芸術にした近代の名人で,第1次〈落語研究会〉の中心をなした。《らくだ》《碁泥(ごどろ)》《にらみ返し》などの上方落語を東京に移植して,近代東京落語の発展に貢献した。得意は《らくだ》《うどんや》など。(4)4代(1888-1946・明治21-昭和21) 本名平山菊松。3代門下。小菊,小三治,蝶花楼馬楽(ちようかろうばらく)を経て襲名。警句に富む軽妙洒脱な芸風で,得意は《湯屋番》《長屋の花見》など。(5)5代(1915-2002・大正4-平成14)本名小林盛夫(もりお)。4代門下。栗之助,小きん,小三治を経て襲名。3代小さんの本格落語の伝統に直結する芸風で,得意は《三人旅》《御慶(ぎよけい)》など。
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百科事典マイペディア 「柳家小さん」の意味・わかりやすい解説

柳家小さん【やなぎやこさん】

落語家。近代の名人として知られる3代〔1856-1930〕は本名豊島銀之助。《うどんや》《らくだ》《碁泥(ごどろ)》などを得意とした。4代〔1888-1946〕は本名平山菊松。風刺に富む洒脱(しゃだつ)な芸で,得意は《長屋の花見》《雑俳》など。5代〔1915-2002〕は本名小林盛夫。1950年襲名。本格の芸統をつぎ,得意は《三人旅》《長短》など。
→関連項目立川談志

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世界大百科事典(旧版)内の柳家小さんの言及

【時そば】より

…原話は《坐笑産(ざしようみやげ)》(1773)にある。明治中期,3代柳家小さんが,上方の《時うどん》を改作した噺。むかしは〈夜鷹そば〉などというそば屋が往来を流していたが,そのそばを食べた男が,代金が16文と聞き,〈ひい,ふう,みい,よう,いつ,むう……何時(なんどき)だい〉〈八つで〉〈ここのつ,とお……〉と2文ごまかした。…

【落語】より


[落語研究会結成]
 1897年に春錦亭柳桜が,1900年に円朝,燕枝が死去した東京落語界は,円朝没後の三遊派を統率していた4代円生をも04年に失い,上方落語界の隆盛ぶりを見るにつけても善後策をたてねばならなかった。初代三遊亭円左(1855‐1911)が,本格の噺の確立をめざして,落語・講談速記界の第一人者今村次郎に相談したことから,4代橘家円喬(1865‐1912),初代三遊亭円右(1860‐1924),初代三遊亭小円朝(1857‐1923),4代橘家円蔵(1864‐1922),3代柳家小さん(1857‐1903)とともに1905年に第1次落語研究会結成の運びとなった。こういう芸道精進から東京落語は黄金時代に入った。…

【らくだ】より

…落語。明治中期に3代柳家小さんが上方の《らくだの葬礼》を東京へ移入したもの。〈らくだの馬〉と異名をとる乱暴者がフグにあたって死んだ。…

※「柳家小さん」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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