相川(読み)アイカワ

デジタル大辞泉 「相川」の意味・読み・例文・類語

あいかわ〔あひかは〕【相川】

新潟県佐渡市の地名。江戸幕府直轄の金鉱町として栄えた。無名異焼むみょういやきの産地。

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精選版 日本国語大辞典 「相川」の意味・読み・例文・類語

あいかわ あひかは【相川】

新潟県佐渡市西部の地名。佐渡金山とともに盛衰。陶器の産地。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「相川」の意味・わかりやすい解説

相川
あいかわ

新潟県佐渡郡(さどぐん)にあった旧町名(相川町(まち))。現在は佐渡市の西部を占める一地区。1889年(明治22)町制施行。1954年(昭和29)金泉(かないずみ)村、二見(ふたみ)村、1956年高千(たかち)村、外海府(そとかいふ)村と合併。さらに2004年(平成16)、両津(りょうつ)市および佐渡郡の佐和田(さわた)町、金井(かない)町、新穂(にいぼ)村、畑野(はたの)町、真野(まの)町、小木(おぎ)町、羽茂(はもち)町、赤泊(あかどまり)村と合併して佐渡市となる。旧相川町は佐渡島の大佐渡山地西半を占め、細長い町域をもっていた。全域が佐渡弥彦米山国定公園(さどやひこよねやまこくていこうえん)に含まれ、島嶼(とうしょ)や海岸段丘による自然美に恵まれ、佐渡金山史跡とともに、佐渡観光の中心をなす。両津港からバスで約1時間。

 相川はもと日本海に面するわびしい小漁村であったが、1601年(慶長6)佐渡金山が開かれ、1603年大久保長安(ながやす)を佐渡奉行(ぶぎょう)に任じ、諸国の鉱山技術者を集め、鉱坑の開発を進めてから急激に発展し、以来、江戸幕府の金蔵(かなぐら)として重きをなし、慶長(けいちょう)・元和(げんな)・寛永(かんえい)年間(1596~1644)には「昼千貫(がん)、夜千貫」と称せられる全盛を極め、町の人口も10万余を数えたといわれる。幕末ごろから産額もしだいに減り、町もさびれた。佐渡金山は1989年(平成1)に閉山。現在は、佐渡の行政・観光の中心地として知られる。

 観光地としては、佐渡金山遺跡にまつわる道遊(どうゆう)の割戸(われと)、南沢疏水(みなみざわそすい)坑、佐渡奉行所跡、国指定史跡の宗太夫(そうだゆう)坑を公開する「ゴールデン佐渡」などがある。佐渡最大の海岸景勝地で国指定名勝の外海府海岸が広がり、中心をなす尖閣(せんかく)湾、相川海域公園、七浦海岸、平根崎波食甌穴(おうけつ)群、春日(かすが)岬、大佐渡スカイラインなどがあり、佐渡観光客のほとんどはこの町に宿泊する。名産品には無名異(むみょうい)焼、海産物スルメイカなど)、鉱山銘石がある。また、10月中旬の相川祭も相川の秋祭りとして広く知られる。このほか、鉱山資料を豊富にそろえた相川郷土博物館や、佐渡おけさ相川音頭(おんど)、春駒(はるこま)を公開する佐渡会館もある。

[山崎久雄]

『『佐渡相川の歴史 資料集1』(1971・相川町)』『麓三郎著『佐渡金銀山史話』(1973・三菱金属鉱業)』『『佐渡相川郷土史事典』(2002・相川町)』


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日本歴史地名大系 「相川」の解説

相川
あいかわ

甲府・山梨両市の境に位置する太良たら峠南方の上積翠寺かみせきすいじほら集落辺りに源を発する一級河川。上積翠寺集落以北をなか川という。相川扇状地の西縁を南流し、荒川あらかわ橋北で小湯こゆ川と合流して荒川に注ぐ。流路延長八・六九キロ。「甲斐国志」では、川名は躑躅が崎つつじがさき館と詰城の置かれた要害ようがい山の間を流れることに由来すると説明するが不詳。同書によれば相川は鮎川とも表記し、当川流域に本拠をもつ鮎川氏がいたという。「一蓮寺過去帳」には延徳四年(一四九二)七月一六日逆修供養を行った眼阿弥陀仏に鮎河総五郎と注記されるのをはじめ鮎川氏の名が散見されることから、永正一六年(一五一九)躑躅が崎館の造営以前にも相川の河川名称が用いられていたものとも考えられる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「相川」の意味・わかりやすい解説

相川
あいかわ

新潟県佐渡島佐渡市西部にある旧町域。1889年町制。1954年金泉村,二見村と,1956年外海府村,高千村と合体。2004年両津市など 1市 6町 2村と合併し,佐渡市となった。中心集落の相川は慶長6(1601)年の佐渡鉱山の開発以来人口が急激に集中し,最盛時には 10万人を有したともいわれる。慶長9(1604)年に佐渡奉行所が設置された。佐渡鉱山は 1989年閉山。区域の大部分佐渡弥彦米山国定公園に属し,外海府海域公園地区,相川海域公園地区のほか,相川郷土博物館,佐渡奉行所跡,佐渡金銀山遺跡(国指定史跡)や尖閣湾,平根崎の波食甌穴群(はしょくおうけつぐん。国指定天然記念物)などの観光資源に恵まれる。大佐渡スカイラインが通る。鉱土の無名異(むみょうい)を陶土に混ぜた相川焼(無名異焼)は特産。佐渡おけさ,相川音頭の民謡で有名。毎年 7月に行なわれる鉱山祭は,金山の町の全盛時代の名残りをとどめる。

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改訂新版 世界大百科事典 「相川」の意味・わかりやすい解説

相川 (あいかわ)

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旺文社日本史事典 三訂版 「相川」の解説

相川
あいかわ

新潟県佐渡島西岸にある町。佐渡金山の所在地
江戸時代,鉱山苦役のために送られた流人の増加に伴って町がおこった。幕府は佐渡奉行所を設置し,金山および佐渡支配にあたった。

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世界大百科事典(旧版)内の相川の言及

【米騒動】より

…(1)1890年(明治23)1月18日,富山市貧民の市役所・資産家に対する救助要請行動が富山県東部にひろがり,4月から9月にかけ,鳥取,新潟,福島,山口,京都,石川,福井,滋賀,愛媛,宮城,奈良の各府県19地点に騒動が発生した。とくに佐渡相川町の場合は激烈で,6月28日から7月5日にかけ,鉱夫を中心に2000名余が蜂起,軍隊1個中隊により鎮圧された。(2)1897年(明治30)5月下旬富山県魚津町にはじまり,8月から10月にかけ,石川,長野,山形,新潟,福井の各県10ヵ所に及んだ。…

【新潟[県]】より

…翌69年別に越後府が再置されて柏崎県を併合し,新潟府は新潟県と改称して新潟周辺のみを管轄した。しかし同年越後府と新潟県が合併して水原(すいばら)県となると,佐渡県(1871年相川県と改称)を分離,続いて柏崎県(越後南部5郡管轄)をも分離した。70年水原県が廃されて新潟県が再置され,次いで柏崎県が長岡藩を併合し,三根山藩は峰岡藩と改称した。…

※「相川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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