出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
作曲家。横浜生まれ。東京音楽学校作曲科に学び、1951年(昭和26)同研究科を修了。橋本国彦、池内友次郎(いけのうちともじろう)(1906―1991)らに師事。1951年パリ国立音楽院に留学、トニー・オーバンTony Aubin(1907―1981)に師事。帰国後1953年に日本で初めてのミュージック・コンクレートのテープ作品『X・Y・Z』を発表。続いて『七のヴァリエーション』(諸井誠(もろいまこと)(1930―2013)と共作、1956)などの電子音楽の作曲も試み、従来とは異なる「音質」を用いた作風をとった。その後『涅槃(ねはん)交響曲』(1958)、『舞楽』(1962)など仏教や日本の伝統音楽に題材をとった作品を書き、1976年のベルリン・ドイツ・オペラ委嘱作『金閣寺』で好評を博した。また長年テレビ番組「題名のない音楽会」の司会者として、芸術音楽を広く大衆に紹介していた。
[船山 隆]
『黛敏郎著『題名のない音楽会』(角川文庫)』
…しかしながら,このような新しい音楽の領域の出現は時代の要請でもあり,五月革命の起こった68年以来,シェフェールはパリ音楽院で教授としてミュジック・コンクレートの講座を担当している。 日本ではシェフェールの動きとは無関係に武満徹が同様の音楽を発想していたが,パリ留学で実際にミュジック・コンクレートに触れた黛敏郎(1929‐97)の帰国後,本格的な作品が作曲されるようになった。日本における初期のミュジック・コンクレートとしては,黛敏郎の《XYZ》(1953),柴田南雄(1916‐96)の《立体放送のためのミュジック・コンクレート》(1955),武満徹の《ルリエフ・スタティク》(1955)などがある。…
※「黛敏郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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