かすみがうら(市)(読み)かすみがうら

日本大百科全書(ニッポニカ) 「かすみがうら(市)」の意味・わかりやすい解説

かすみがうら(市)
かすみがうら

茨城県南部に位置する市。霞ヶ浦(かすみがうら)に面する。2005年(平成17)、新治(にいはり)郡霞ヶ浦町、千代田町(ちよだまち)が合併して市制施行、かすみがうら市となる。北部は筑波(つくば)山地南麓の丘陵、および恋瀬(こいせ)川と支流天(あま)ノ川の沿岸低地、南部は霞ヶ浦に突出する舌状の半島で、同半島は湖岸低地と台地からなる。北は石岡(いしおか)市、西は土浦(つちうら)市に接する。JR常磐(じょうばん)線、国道6号が通じ、常磐自動車道の千代田石岡インターチェンジがある。半島部を横断する国道354号は霞ヶ浦大橋によって対岸の行方(なめがた)市と結ばれる。

 志筑(しづく)(上志筑、中志筑、下志筑)は『常陸国風土記』の「信筑の川」、『万葉集』にみえる「師付(しつく)の田居」にあてられる。中世には益戸(下河辺)氏が志筑城を築き、戦国期には小田(おだ)氏の家臣菅谷(すがや)氏が宍倉(ししくら)城に、田伏(たぶせ)氏が田伏城に拠った。1602年(慶長7)幕府交代寄合衆の本堂氏が8千500石余で入り、志筑城跡に陣屋を構えた。ほか市域は水戸藩領、土浦藩領などに属した。下稲吉(しもいなよし)村は水戸街道宿場で、問屋場・本陣脇本陣・旅籠が置かれ、半島北東部には霞ヶ浦に面して柏崎(かしわざき)河岸があった。

 農漁業が主産業で、米、特産レンコン、クリ、ナシ、柿などの果樹栽培が盛ん。観光果樹園も多い。霞ヶ浦漁業ではワカサギシラウオなどを漁獲し、加工も行っている。土浦市に接して工業団地が造成され、化学、食品、金属などの工場が進出。なお、市域には多くのゴルフ場がある。江戸時代の豪農椎名(しいな)家住宅は国指定重要文化財。水戸街道の旧旅籠木村家住宅、願成寺(がんじょうじ)の百態(ひゃくたい)観音(百体磨崖仏)などは県指定文化財。霞ヶ浦に臨む景勝地の歩崎(あゆみざき)は県指定名勝で、水郷筑波国定公園の一部。面積156.60平方キロメートル、人口4万0087(2020)。

[編集部]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「かすみがうら(市)」の意味・わかりやすい解説

かすみがうら[市]

茨城県中南部の市。2005年3月旧霞ヶ浦(かすみがうら)町と千代田(ちよだ)町が合体して成立した。人口4万3553(2010)。

かすみがうら市南東部の旧町。旧新治(にいはり)郡所属。人口1万8569(2000)。1997年出島村が町制,改称。霞ヶ浦に突出した半島状の地域を占め,町域の大部分は台地である。1960年代に台地上の開田が進められ,現在は水田面積が畑面積を上回る。ほかに養豚やれんこん,栗,梨の栽培も盛ん。古くから内水面漁業が行われ水産加工業者が多いが,霞ヶ浦の汚濁が進み,ワカサギ,シラウオの漁獲は急減。網いけすによるコイの養殖も行われる。西部地区を中心に工場も進出している。湖岸は水郷筑波国定公園に含まれ,東端の歩崎(あゆみざき)(名)は景勝地として知られる。対岸の行方市との間は有料の霞ヶ浦大橋で結ばれる。加茂には1674年(延宝2)建築の椎名家住宅(重要文化財)がある。

かすみがうら市北西部の旧町。旧新治郡所属。人口2万6660(2000)。1992年町制。町域の大部分は台地で,中央部を国道6号線(水戸街道)が通り,常磐自動車道の千代田石岡インターチェンジがある。下稲吉は近世に水戸街道の宿駅として栄え,中志筑(なかしづく)には旗本本堂氏8500石の陣屋が設けられていた。全国一の栗の産地として知られるが,梨の生産も盛ん。従来,畑作中心の純農村であったが,1963年首都圏都市開発区域に指定されて市街地化が進み,土浦市と接する南部地区には工業団地がつくられた。JR常磐線神立(かんだつ)駅周辺では住宅地化が進み,土浦市への通勤者が多い。また,国道6号線沿いには果樹を中心とした観光農園が多い。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「かすみがうら(市)」の意味・わかりやすい解説

かすみがうら[市]【かすみがうら】

茨城県中南部,霞ヶ浦に面する市。水郷筑波国定公園を擁する。2005年3月新治郡霞ヶ浦町,千代田町が合併し市制。JR常磐線,常磐自動車道,国道6号線,125号線が通じる。東日本大震災で,市内において被害が発生。156.60km2。4万3553人(2010)。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報