日本大百科全書(ニッポニカ) 「カーク」の意味・わかりやすい解説
カーク
かーく
Rahsaan Roland Kirk
(1935―1977)
アメリカのジャズ・サックス奏者。オハイオ州コロンバスに生まれ、2歳のとき看護師の医療ミスにより失明する。オハイオ州立盲学校で教育を受け、幼児期から音楽の魅力に取りつかれる。9歳のときトランペットを手にするが、目に悪影響があるということで、楽器をサックスに変える。12歳になるとスクール・バンドでサックスとクラリネットを演奏し、15歳でリズム・アンド・ブルース・バンドのリーダーとなり、同時に二つの楽器を演奏することを試みている。16歳のとき、同時に3種の楽器を演奏する夢を見、練習の末これを実現する。またこのとき夢のお告げで「ラサーン」という名前を与えられ、以後自称するようになる。彼はテナー・サックスと、スペインの軍楽隊が使用していたストリッチとマンゼロというサックスの仲間の楽器を3本同時に口にくわえ演奏した。こうすると独特の複雑なハーモニーが生じ、以後これが彼の特技となる。
1956年に初リーダー作『サード・ディメンション』を吹き込むがあまり注目されず、1960年にピアノ奏者ラムゼイ・ルイスRamsey Lewis(1935―2022)の紹介でアーゴ・レーベルに『イントロデューシング・ローランド・カーク』を録音、珍しい奏法の是非をめぐって議論をよぶ。1961年、ベース奏者チャールズ・ミンガスのバンドに4か月間在籍し、彼のアルバム『オー・ヤー』のサイドマンを務め、ミュージシャンとしての評価を確立する。ミンガスのバンドを辞めた後、西ドイツ(当時)のエッセン・ジャズ・フェスティバルにソロイストとして参加、1963年には自らのバンドを率いてヨーロッパ・ツアーを行い、ロンドンの「ロニー・スコット・クラブ」に出演する。1970年代になると「バイブレーション・ソサイエティー」というバンドを結成し、ロック、リズム・アンド・ブルースなどの要素を大胆に取り入れながら、伝統的なジャズの味わいも色濃く残した独自の境地に到達する。このバンドは全米、カナダ、ヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランドと世界各地をツアーして回った。1974年、ミンガスとの再会レコーディング・セッションを行い、この模様がアルバム『ミンガス・アット・カーネギー・ホール』Mingus at Carnegie Hallとして発売され、カークのソロが話題をよぶ。1975年脳卒中のため半身不随となるが奇跡的にカムバックし、演奏活動を続ける。しかし1977年脳溢血(のういっけつ)のため亡くなる。
代表作に『ウイ・フリー・キングス』(1961)、『溢れ出る涙』『ヴォランティアード・スレイヴリー』(ともに1968)、『カーカトロン』Kirkatron(1976)がある。カークは同時複数楽器奏法により好奇の目で見られがちだが、それは音色の多様性を求めるという必然性から生まれたもので、けっして演芸的な効果のみをねらったものではない。また、彼の音楽はジャズの伝統に深く根ざしたもので、リズム・アンド・ブルースあるいはロック・ミュージック的手法も、彼の音楽世界に有機的に取り込まれたジャズ的表現として昇華されている。
[後藤雅洋]