日本大百科全書(ニッポニカ) 「せっけん」の意味・わかりやすい解説
せっけん
せっけん / 石鹸
soap
もっとも古くから知られている界面活性剤で、広義では脂肪酸、樹脂酸、ナフテン酸などの金属塩の総称であるが、通常、高級脂肪酸(炭素数6以上、実用は炭素数12~18)のナトリウム塩(ソーダせっけん)、カリウム塩(カリせっけん)などのアルカリ金属塩をいう。ほかの金属塩は金属せっけんとよばれ、区別される。せっけんは皮膚の垢(あか)やほこりなどの汚れ、衣類に付着した固体汚れ、油性汚れなどを取り除く洗浄剤として用いられる。
[篠塚則子・坪内靖忠]
歴史
紀元前3000年と推定されるシュメール(バビロニア南部)の粘土板に薬用としてせっけんについて記されており、これがもっとも古い記録と思われる。1世紀になるとプリニウスの『博物誌』に、また2世紀には医師ガレノスの『簡易薬剤論』にせっけんについての記述があるが、使用はごくまれであったと考えられている。8世紀に入り、地中海沿岸のイタリア、スペインでせっけん製造が盛んになり、イタリアの都市サボーナSavonaはせっけんに対するラテン系の語源となっている。12世紀ごろになると大量に製造されるようになり、とくにフランスのマルセイユは「マルセルせっけん」の名を残したほどのせっけん工業の中心地であった。地中海沿岸のせっけんは、その特産のオリーブ油と海藻灰を主原料とし、品質がよく、16世紀初頭インドからフランスに移植されたリネン(亜麻(あま))工業の興隆により、需要が増大して生産にも拍車がかかった。以後18世紀まで、せっけん製造技術に大きな進歩はなかった。
1790年フランスのN・ルブランにより食塩からソーダの製造法が発明され、安価なカ性ソーダの供給が可能になったことと、1811年フランスのシュブルールにより油脂の化学的組成が明らかにされたことにより、現在のせっけん工業の基礎が完成した。1890年代にはグリセリンの回収が一般化し、20世紀に入ってからは、油脂硬化法の工業化と各製造工程の機械化が進み、オートメーション技術も確立されている。
日本に渡来したのは、織田信長、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の時代で、ほとんどの文明品が仏教を通じて中国からきたのに対し、せっけんはポルトガル人(あるいはスペイン人)によって紹介され、前述のSavonaに由来するポルトガル語のsabaoから、シャボンとよばれた。このシャボンという文字が初めて記録されたのは、1596年(慶長1)石田三成(みつなり)から神谷宗湛(かみやそうたん)にあてた書状だといわれており、江戸中期からは「沙盆」という当て字が用いられている。「石鹸(せっけん)」という日本語が用いられたのは、「石鹸」について記されている李時珍(りじちん)の『本草綱目』(1590)が日本にもたらされた1606年(慶長11)ごろからで、もとは中国語で別のもの(鹸は「地中の塩分」を意味する)をさしていたが、シャボンの翻訳語として誤解して用いられたものがそのまま現在に伝わり使用されている。
せっけんの洗浄力は認められていたものの、江戸時代を通じてその主要な用途が薬用であったことは、平賀源内(ひらがげんない)の『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』(1763)や藤林普山(ふじばやしふざん)(1781―1836)の『西医今日鈔(せいいこんにちしょう)』(1847)の記述をみてもわかる。
現在の化粧せっけんに近い品が生まれたのは1825年(文政8)医師宇田川榛斎(うだがわしんさい)・宇田川榕菴(ようあん)らが薬用として自家製造したのが最初で、化粧用としての使用法は榕菴の『舎密開宗(せいみかいそう)』(1837)以後のことである。
せっけんが日本で市販されたのは1872年(明治5)京都舎密局からで(京都府府令「牛乳は肉を養い、石鹸は外を潔(きよ)くす……」)、製造工業としてはその翌1873年に、横浜の堤磯右衛門(つつみいそえもん)(1833―1891)が蘭医(らんい)丸屋善八こと早矢仕有的(はやしゆうてき)(林有的。丸善の創始者)の技術的指導で洗濯せっけんの製造に成功したことに始まる(1873年、堤石鹸製造所設立)。その後、工業として発展し、1885年には輸出額(約7万円)が輸入額(約3万円)を上回るに至った(同年の生産額は、「貿易年表」によると推定約25万円)。当時はほとんど薬用(皮膚病用)か洗濯用で、1887年ごろからようやく化粧せっけんが市販されるようになった。
化粧用せっけんは、すべてJIS(ジス)(日本産業規格)の「化粧石けん」(JIS K3301)で品質管理されているが、各企業の社内規定がこれを上回っているのが実情である。洗髪用、全身用などの液状もあり、その成分も多様化、高級化しているが、いずれも十分なすすぎが必要である。
ちなみにせっけんの価格を理容料金と比べてみると、1890年(明治23)の理容料金5銭に対し、化粧せっけんは12銭で、はるかにせっけんのほうが高かった。1914年(大正3)には理容料金20銭に対し、化粧せっけんは9銭、1986年(昭和61)の理容料金2600円に対し、化粧せっけん120円、1999年(平成11)の理容料金3700円に対し、化粧せっけんは150円である。現在、日本のせっけん製造工業は世界的にみても有数の地位を占めている。
[篠塚則子・坪内靖忠]
種類
せっけんはその成分、用途、性状、製法などによって分類されるが、おもなものについて簡単に説明する。
[篠塚則子・坪内靖忠]
硬せっけん
硬せっけんは、固体状の硬いせっけんでナトリウム塩である。通常の化粧用、浴用として用いられる。
[篠塚則子・坪内靖忠]
軟せっけん
軟せっけんは、脂肪酸のカリウム塩。液状で主として手洗い用。通常やし油またはその脂肪酸、あるいはオレイン酸系が使用される。
[篠塚則子・坪内靖忠]
洗濯せっけん
純せっけんに近いものから助剤を多く含むものまである。家庭用品品質表示法(昭和37年法律第104号)は、洗濯せっけんについて、界面活性剤として純せっけん分を100%含むものを「洗濯用石けん」、界面活性剤として純せっけん分が70%以上で、他の界面活性剤を含有するものを「洗濯用複合石けん」と表示するよう規定している。固形せっけんではケイ酸ナトリウムを10~20%含むものもある。粉末せっけん(粉せっけん)には炭酸ナトリウムを添加する。いずれも洗濯液のアルカリ性を強めて洗浄作用を増強するためである。
[篠塚則子・坪内靖忠]
薬用せっけん
薬用せっけんは殺菌をおもな目的としたせっけんで、体臭・汗臭を防ぐ、にきびを防ぐなど、細菌性疾患を予防する。殺菌剤としては、ヘキサクロロフェン、ビチオノール、TCC(トリクロカルバン)などが用いられる。
[篠塚則子・坪内靖忠]
性状・性質
せっけんの分子は、炭化水素の長い鎖でできた疎水性の部分と、カルボキシ基(カルボキシル基)がアルカリ金属と結合した親水性の部分からなっており、典型的な陰イオン性界面活性剤である。したがってその水溶液は、水の表面張力、界面張力を低下させ、起泡力、乳化力、可溶化力をもち、強力な洗浄作用を示す。
通常のせっけん(アルカリせっけん)は無水の状態ではエタノール以外の有機溶媒には一般に難溶である。水への溶解度は、ある温度に達するまでは温度の上昇とともに徐々に増加し、一定温度に達すると溶解度が急激に増す。この現象は、せっけんの分子が集まって球状あるいは層状の会合体(ミセルとよばれる)を生成するために生じると考えられている。ミセルを形成し始める濃度を臨界ミセル濃度というが、せっけん分子の種類、温度、共存物質などによって異なる。最高の洗浄能力を発揮する濃度は0.1~1.0%の範囲である。せっけんの水溶液は、せっけんの加水分解によってアルカリ性を示し、これにアルカリやアルカリ塩(食塩など)を加えるとせっけん分が上層に分離してくる。この現象を塩析とよび、せっけんの製造工程で利用している。
せっけんの原料となる油脂は、牛脂、やし油、パーム油、米糠(こめぬか)油、パーム核油が主たるもので、ほかに大豆油、綿実(めんじつ)油、ひまし油、落花生油、魚油などが用いられる。せっけんの性状は、原料となる油脂を構成している脂肪酸の種類によって変化する。
炭素数12未満の飽和脂肪酸のせっけんはきわめて硬く、溶解度、安定性はよいが、洗浄力、起泡力が弱い。炭素数が12以上になると、溶解度は減少するが起泡力、洗浄力は強くなる。また、二重結合を一つ含む不飽和脂肪酸を用いると、溶解性、起泡力、洗浄力の大きいせっけんができるが、やや軟質になる。
実際に使用するせっけん原料は単体の脂肪酸ではなく、種々の脂肪酸の混合物であるから、原料の配合を加減し、硬さ、溶解性、起泡力、洗浄力、塩析力、保存性などを考慮して製造される。
せっけんの洗剤としての特長は、水に溶かすとアルカリ性を示し、木綿、麻などの洗濯に適していること、皮膚の洗浄用として用いると過度に脂肪を取り去ることがなく使用感のよいことがあげられる。他方、カルシウム、マグネシウムなどの金属イオンを含んだ、いわゆる硬水中では、これらのイオンと塩をつくり水に不溶になって洗浄力が落ちること、低温で溶解度が低く洗浄力が弱いなどの欠点がある。なお、せっけんの廃水は微生物などによる分解性がよく、発泡性も少ないので、環境汚染に関しては比較的問題の少ない洗剤といえよう。
[篠塚則子・坪内靖忠]
製造
せっけんは、油脂をカ性アルカリでけん化するか、あるいは脂肪酸をアルカリで中和して製造する。油脂または脂肪酸からせっけん生地をつくる工程と、生地から各種製品をつくる加工工程とからなっている。
せっけん生地は、原料の牛脂、やし油、植物油などに水酸化ナトリウムを加えて100℃程度に加熱してけん化を行い、これに食塩を加えて塩析するけん化法、または、牛脂などをけん化して脂肪酸をつくり、これに水酸化ナトリウムを加える中和法によってつくられる。得られた純良なせっけん生地はニートソープとよばれ、次の加工工程に回される。
固形せっけんの加工法には機械練りと枠練りがある。機械練りは、ニートソープを細片にして乾燥したのち、香料、色素を加えてよく混ぜ、ロールで練り合わせながら成形する。枠練りは、温度を上げて溶かしたニートソープに香料、色素を加え、これを自動冷却機に流して固めてから切断、乾燥させる。仕上りがきれいなので化粧せっけんはもっぱら機械練りでつくられる。
フレーク状のせっけんは、フィルムドライヤーで乾燥させた薄片を細かく砕く方法や、せっけん生地を冷却ロールでリボン状にして乾燥する方法によって製造される。
粉末せっけんは、炭酸ナトリウムなどを多く含有する場合は、乾燥後、粉砕機で粉末にするが、純せっけんに近い場合は、せっけん生地を噴出させて乾燥させる噴霧乾燥法による。
日本におけるせっけんの生産量は2022年(令和4)時点で、浴用、手洗い用が9万6765トン、その他洗濯用などの洗剤が3万3745トンで、合計13万0510トンである。また、国民1人当りの年間消費量は0.76キログラムである。
[篠塚則子・坪内靖忠]