チアン・ウェン(読み)姜 文(その他表記)Jiang Wen

現代外国人名録2016 「チアン・ウェン」の解説

チアン・ウェン
姜 文
Jiang Wen

職業・肩書
映画監督,俳優 北京中央戯劇学院演員

国籍
中国

生年月日
1963年1月5日

出生地
河北省唐山

学歴
北京中央戯劇学院表演系〔1984年〕卒

受賞
百花奨主演男優賞(第10回・12回)〔1987年・1989年〕「芙蓉鎮」「春桃」,建国40年10大影星〔1989年〕,金馬奨グランプリ・監督賞・脚本賞(第33回)〔1996年〕「太陽の少年」,香港電影金像奨助演男優賞(第17回)〔1998年〕「宋家の三姉妹」,カンヌ国際映画祭グランプリ(第53回)〔2000年〕「鬼が来た!」

経歴
17歳で中央戯劇学院演技科に入学。卒業後は中国青年芸術劇院に配属され、溥儀に似ていることから、1985年映画「悲劇の皇后ラストエンプレス」の溥儀役でデビュー。’86年の謝晋の「芙蓉鎮」で第10回百花奨主演男優賞を受賞し、国際的に有名になる。続く「紅いコーリャン」(’87年)では隆々たる体軀の主人公を演じ、中国映画の演技に新境地を開いたと評される。次いで「春桃」(’88年)の農村知識人役で2回目の百花奨主演男優賞受賞。他の出演作品に映画「花轎泪」(’87年)、「黒い雪の年」(’88年)、「李蓮英」(’90年)、「宗家の三姉妹」(’97年)、「ヘブン・アンド・アース」(2003年)、「ジャスミン」(2004年)、テレビドラマ「北京人在紐約」(1993年)など。一方、’94年「太陽の少年」で監督としてデビューするが、文化大革命後期を題材にした同作品は’95年末より国内での上映ができなくなった。’98年香川照之を準主演に迎え、日中戦争中の日本人捕虜と中国人民衆との奇妙な接触を描いた第2作「鬼が来た!」を監督(製作・脚本・主演も)、2000年にカンヌ国際映画祭グランプリを受賞。同作品は日本人捕虜を人間的に描き過ぎ“非愛国的”になったという理由から、中国当局よりその後7年間の映画関連活動を全て禁じられるという厳罰処分を受ける。2007年第3作「陽もまた昇る」(2006年)はベネチア国際映画祭コンペティション部門に出品。2010年第4作「さらば復讐の狼たちよ」を監督・主演、同作品は中国歴代ヒット作の興収記録を塗り替え、香港でも大ヒットした。妻はフランス人。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チアン・ウェン」の意味・わかりやすい解説

チアン・ウェン
ちあんうぇん / 姜文
(1963― )

中国の俳優・映画監督。軍人の父と音楽教師の母のもと、1月5日、河北(かほく/ホーペイ)省唐山(とうざん/タンシャン)に生まれ、6歳のときに北京(ペキン)へ移住。演劇に関心をもち、1980年に中央戯劇学院に入学。1984年の卒業後は、中国青年芸術劇院に所属して舞台俳優の道を歩み出すが、1986年、『悲劇の皇后 ラストエンブレム』で映画出演を果たすや、同年の謝普(シェチン)監督の『芙蓉鎮(ふようちん)』と張藝謀(チャンイーモウ)監督の『紅いコーリャン』で相次いで主演を務めて注目され、映画俳優として世界的な知名度を獲得する。1994年の『太陽の少年』で監督業に進出し、ベネチア国際映画祭主演男優賞を受賞。続く『鬼が来た!』(2000)で日中戦争下の村を舞台に日本兵と中国人との奇妙な関係を描き、カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞するが、国内審査を通過せずに出品させたとして国内上映禁止の処分を受ける。俳優、監督いずれの分野でも今日まで旺盛(おうせい)な活動を続けており、2010年には『さらば復讐(ふくしゅう)の狼たちよ』で監督・出演・脚本の3役をこなしている。

[石坂健治]

資料 監督作品一覧

太陽の少年〈陽光燦爛的日子〉(1994)
鬼が来た!〈鬼子来了〉(2000)
陽もまた昇る〈太陽照常昇起〉(2007)
ニューヨーク、アイラブユー New York, I Love You(2009)
さらば復讐の狼たちよ〈譲子弾飛〉(2010)

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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