ティエン・チュアンチュアン(読み)てぃえんちゅあんちゅあん

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ティエン・チュアンチュアン
てぃえんちゅあんちゅあん / 田壮壮
(1952― )

中国の映画監督。4月1日、北京(ペキン)の生まれ。元俳優で北京映画撮影所の初代所長をつとめた父と、元女優の母という映画一家の次男として誕生するが、両親は文化大革命の最中に迫害され、壮壮も1968年に下放され、吉林(きつりん/チーリン)省で青春期を過ごす。その後は入隊、農業映画の助手を経て、1978年に再開した北京電影学院監督科に入学。1982年に共同監督作『紅象』でデビュー。『狩り場の掟(おきて)』(1984)で内モンゴル、『盗馬賊』(1986)でチベットを舞台に据え、辺境に生きる人々と厳しい自然をみつめた作風で「第五世代」の旗手と目される。激動の中国現代史に迫る大作『青い凧(たこ)』(1993)で東京国際映画祭の最高賞を受賞するが、国内の検閲を経ていなかったため、以後10年間の監督活動停止処分を受ける。2002年、長いブランクの末に『春の惑い』で復活し、その後は『呉清源 極み棋譜』(2006)などを発表。プロデューサー業も積極的にこなしている。

[石坂健治]

資料 監督作品一覧

紅象〈紅象〉(1982)
九月〈九月〉(1984)
狩り場の掟〈猟場札撤〉(1984)
盗馬賊〈盗馬賊〉(1986)
鼓書芸人〈鼓書芸人〉(1988)
ロック青年〈揺滾青年〉(1988)
特別手術室〈特別手術室〉(1988)
清朝最後の宦官 李蓮英(リーリェンイン)〈大太監李蓮英〉(1990)
青い凧〈藍風箏〉(1993)
春の惑い〈小城之春〉(2002)
呉清源 極みの棋譜〈呉清源〉(2006)
ウォーリアー&ウルフ〈狼災記〉(2009)

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

現代外国人名録2016 の解説

ティエン・チュアンチュアン
田 壮壮
Tian Zhuang-zhuang

職業・肩書
映画監督

国籍
中国

生年月日
1952年4月30日

出生地
天津

学歴
北京電影学院監督科〔1982年〕卒

受賞
ベルリン国際映画祭名誉賞(第41回)〔1991年〕,東京国際映画祭インターナショナル・コンペティション東京グランプリ(第6回)〔1993年〕「青い凧」,ベネチア国際映画祭サン・マルコ賞(第59回)〔2002年〕,上海国際映画祭最優秀監督賞〔2007年〕「呉清源 極みの棋譜」

経歴
父は映画監督、母は女優。文化大革命で吉林省に下放後、1978年北京電影学院に入学。’82年卒業後北京映画製作所に所属、’83年「紅象」で監督デビュー。「狩り場の掟」(’85年)でモンゴル族、「盗馬賊」(’86年)でチベット族の生活をセリフとストーリー性を排したドキュメンタリータッチの映像で描き、西側の映画人を驚嘆させる。’89年天安門事件の際には映画人で唯一人抗議書に連名するなど、その自由奔放さで映画界の風雲児と目された。’93年製作の「青い凧」は政治的描写が問題となり国内公開を見送られ、’94年から3年近く映画製作の禁止処分を受ける。’95年プロデューサーとして復帰、若手監督の作品を手がける。2002年「春の惑い」で10年ぶりに監督に復帰。2006年激動の日本を駆け抜けた実在の天才棋士を描いた「呉清源 極みの棋譜」を発表、上海国際映画祭最優秀監督賞を受賞。北京電影学院同窓のチェン・カイコーチャン・イーモウらとともに中国映画第五世代と呼ばれる。他の作品に「九月」(1984年)、「鼓書芸人」(’88年)、「ロック青年」(’89年)、「清朝最後の宦官・李蓮英」(’90年)、「ウォーリアー&ウルフ」(2009年)など。1991年東京で回顧上映。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

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